衝撃の事実!
当代のごろう様が我が家に迎えられるまでは疾風怒濤の大河ドラマ。
ごろう様の実家は某JR駅に面した某合気道場の二階。2017年の七月末、私は駅から見えるインコのはりついた窓に導かれ、今のごろう様とであった。
ご存じない方は大河ドラマはこちらでご覧いただけます。
このオカメ道場の主Sさんは「カゴにいれてかうなんて可哀想」とといい、オカメインコ60羽は道場の二階を自由にとびかっていた。
私は「何か災害とかあった時、60羽つれてどうやって避難するんだろう、そもそもこのまま増え続けたら飼育崩壊になる」と思ったが、批判的なことをいうとヒナをゆずってもらえなくなるかもしれないので、三羽をもらいうけるまでは口をチャックしていた(このうちちょろちゃんは病院で呼吸器系の病気にかかり夭折した。長生きさせてあげられなくてごめん)。
こうして我が家にやってきた当代のごろう様も妹のはなりんもオカメインコとしては極小で体重は80gしかない。さらに云えば、ごろう様は足の爪が一本欠損しており、はなりんはペローシスである。二人がこんな状態なのも、過密な環境で親にストレスがたまり、子供達に給餌をまともにせず、羽をぬいていたからである。明らかにこの飼育環境は無理がきていた。
今回の台風では道場一帯にも浸水被害があったので、その災害見舞いをかねて二年ぶりに道場を訪問してみた。外から見る限りでは道場は二年前と変わっていないようにみえた。
実はSさんとはごろう様をひきとって以後疎遠になっていた。ごろう様をひきとって半月ほどして、こちらから送るメールが戻ってきてしまい連絡がつかなくなったため、「ちょろちゃんがなくなったことを怒っているのかも」と気が引けて何となく連絡をとらなくなってしまったのである。
手ぶらでいくのも何なので佐渡島直送の柿を一袋かって道場の戸をあけると、ご主人とお弟子さん二人がいた。
私「2017年にこちらの奥様からオカメインコを三羽お迎えしたものです」と、今朝とったごろう様の写真をみせると(これがその時お見せした写真です)、「ああ、あの時の」と思い出してくださった。
この前の台風の被害をきくと、床下浸水はしたけど、ギリギリ部屋の中には入ってこなかったという。
「奥様は?」と伺うと、ここから耳を疑う怒濤の展開。
何とSさんは2017年の9月14日に急逝したのだという。ごろう様をおむかえして一月もたたない時である。だからあの頃からメールが届かなくなったのか。
Sさんは倒れて救急車で病院に運びこまれた時には、全身ガンで手の施しようがなかったのだという。彼女は牛や豚が可哀想といい、完全菜食であった。「動物保護の活動をしたいけどどうしたらいいか」聞かれたので、ネットを検索して日本で一番大きな団体であるアニマルライツを紹介し、道場とかで上映会とかやってはと勧めてみたが、それを実現することもなく急逝されたのか。
私「でででででは、二階のオカメインコの御世話は今どなたがされているんですか?」と聞くとご主人だという。しかし、その後衝撃の事実がががが。
何とSさんとダンナさんは入籍していなかったので、旦那さんは奥様の遺産(道場)を相続することができず、奥様の母親の弟と裁判沙汰になっているというのである。
つまり、もし裁判に負けたらあの道場はなくなり、60羽のオカメインコは行く先がなくなるのである。今や希少となったノーマルオカメインコが八割をしめる夢のような世界なのに。ごろう様のパパとママと兄弟といとことはとこetc.はどうなってしまうのか。
暗い気もちになりながら家に帰り、Sさんのなくなった日の日記を確認した。2017年9月14日 は、震度三の地震があってごろう様とはなりんの兄妹は初オカメパニックを起こしていた。まさかこれがSさんのなくなった時間?
今から思うと彼女のなくなった直後オックスフォードで学会があり、成田エクスプレスにのるためにあの駅を通った時、ホームからごろうちゃんのお父さんとお母さんに挨拶したけど、あの時点でもうSさんはいらっしゃらなかったのか。
メールを確認してみると、三羽を養子に迎えるまでの一ヶ月、24通のメールを受信していた。一回インド料理をご一緒した時はたしかに具合が悪いとはおっしゃっていた。しかし、まさか二週間後になくなるほどガンにおかされていたとは。
鳥のレスキューを行うNPO法人に相談の電話をかけてみると、やはり飼育崩壊の前に徐々になんとかした方がいいとのアドバイスを戴いた。そりゃ誰だっていきなり60羽の受け入れは無理だろう。とにかくご主人に今の状態をオカメファーストで考えて戴けるように考えてもらわねば。そこでこのNPO法人の簡単な紹介と電話番号と私の電話を受けてくださった方の名前を大書して道場主におわたししてきた。必要とあれば仲立ちしますと一言つけて。
Sさんは私にごろう様をわたした直後になくなられた。空海に法を伝えた後にすぐ他界した恵果阿闍梨のように。先ほどのリンク先を見て戴ければわかるが、先代ごろう様は2017年の私の誕生日に急死し、その直前に連絡をとってきた余命いくばくもないFさんが、一月後になくなって、そのお葬式に向かう途中でこの道場をみつけたのである。つまり、ごろう様が私の手許に戻ってくるまで二人の方がなくなっている。二人とも私と初対面ないし長い交流のない期間をへて私と出会い、その直後になくなっている。
これが何を意味するのか分からない。が、一つ分かるのは60羽の命は守らなければいけないということ。
これからどうなるのかは分からないし、人様のおうちのことなので私の一存でどうこうできるわけもないけれど、みまもりつつ、できることがあったらやりたいと思う。それがなくなったSさんや、先代ごろう様の遺志のような気がするので。