慶祝 ! 若と姫の二歳の誕生日

 当代のごろう様と花姫が二歳の誕生日を迎えました。

今年から、ごろう様と花姫の誕生日を私の誕生日に祝うことにした。

先代ごろう様が急死されたのは二年前(2017年)の私の誕生日の6月6日、その時私は外出の15分前。Aさんからきたメッセージに返事書いている最中であった。
 その後、まもなくしてガンに罹患していたAさんはなくなり、そのお葬式の日に途中駅のホームから聞こえるオカメインコの声につられて、当代のごろう様とその兄弟が生まれた合気道道場を見つけた。

彼らは6月はじめに生まれたというし、前のエントリーで記した通り、昨年の私の誕生日(先代の命日)にも不思議なことがあり、6月6日は先代と当代のごろう様をつなげる記念的が意味があると思われたので、二人の誕生日をこの日にしたのである。

ぶっちゃけ本音を言えば、自分の誕生日が来るたびに、先代の命日がくるというウツな状態へのソルーションでもある。

 先代ごろう様に対しては、いつもどことなく後ろめたい気持ちがあった。
子供の頃、少食で病気がちだったのは、人間の都合で早くに母鳥や兄弟から引き離したせいであろうし、私がでかける時に激しく追い鳴きしたのも群れの鳥が一羽になるのが寂しかったからに違いない(そのため寂しい思いをさせないため私はスーパー出不精になった)。

 しかし、当代のごろう様はぴちぴちに元気で、病気ひとつせず、妹と一緒にブンブンとびまわって追い鳴きもない。あまりにも自立しているので若干寂しい気もするが、当代のごろう様は私のうしろめたさを感じ取って、今のようなキャラになった、当代のキャラは親孝行の進化系と解釈することにした。

 今年の3月、母は若手の優秀な研究者とともに近代チベット・モンゴル関係史についての英文の書籍を出した。本書の脱稿が近づいていた昨年のある日、献辞をどうするかという話になった。心の広い共著者たちは「ごろうちゃんじゃないですか?」と勧めてくれたため、「えっ? 本当にいいの?」といいつつ、そうさせて頂いた。

 なくなった人に捧げる場合は「~の記憶とともに」(in the memory of)、と表記する場合が多いが、ごろう様はいまも眼の前にいる。なので結局、シンプルにTo Goroとなった。

本書をチベット学の研究者や関係機関に寄贈すると、礼状や礼メールが届くが、その中にニューヨークにあるチベット学の専門図書館Latse Libraryから写真のような礼状がきた。

ザツに要約すると、「我々のSNSで、あなの本の写真をのせたYo ! でもあなたのSNSのかわいい小鳥とうつった写真にはかなわないけどNe !」

 ワロタ。ちなみに、私が投稿した写真はこれ。

 私のインコ好きもグローバルになったものよ。

 当代ごろう様にはとにかく長生きして頂いて、私の老後をみとってもらわねばならない。花姫は人工的につくられたルチノー種なので遺伝的に弱く、女の子なのでいろいろなトラブルも予想されるが、できるだけ長生きしてほしい。

 バースデーケーキはシェリー・ブランの特注写真ケーキである(チーズケーキ)。写真部分ももちろん食べられる仕様になっている。

 来年も再来年も彼らの誕生日をつつがなく祝えますように。