ミサヲちゃんの全快日記
我が家には2021年8月25日時点で三羽の愛鳥と一匹の猫がいる。
一羽はセキセイのミサヲちゃん(荒鳥)、もう二羽はごろう公と花姫のオカメインコ兄妹(手乗りbutワガママ)である。猫は2009年の8月1日にお迎えした茶トラ猫るり。しつけのできない飼い主のもと、彼らは好き勝手に生きてきた。しかし、異変は8月17日の夕方に始まった。いやもっと前から始まっていたのかもしれないが、私が気づいたのがこの日の夕方だった。
私はゼンソクもちなので小鳥の敷紙は毎日交換する。この時ミサヲちゃんの敷紙にフンチがついていないのに気づいた。みると食事もほとんどしていない。この時点でパニックですよ。かかりつけの小鳥のお医者さんは火曜日と木曜日は近くの診療所に往診にきてくださるが、それ以外は横浜までいかねばならない。この日は火曜日。つまりお医者さんにみせるには明日、暑い中弱った荒鳥をつれて電車に1時間乗らねばならないのだ。
ちょうどその時、淡路島のYさんからメッセがきた。彼女は不思議な人で我が家の鳥の異変を察知しているのかというタイミングで顕れる。2017年ごろう公と花姫の兄弟であったちょろちゃんが肺炎で死にかかっていた時、家に帰る途中の地下鉄の車内でYさんとばったりであって、むさ苦しい我が家まできていただきチョロちゃんを見て戴いたことがある。チョロちゃんはその翌日なくなってしまったが。
私「この子甲状腺で死にかけた過去があるんです。」
Yさん「ここのところの雨と低温は甲状腺病気持ちにはつらいよね。ミサヲちゃんは年はいくつ?」
そこで、お迎えした時の書類を探してみると、
私「平成25年5月22日にお迎えしている。平成25年って西暦で何年? お迎えした時すでに大人だったからへたすりゃ前年うまれ。ということは九才? 」
そして書類をよくみると「寿命」欄に「8年」
なんじゃこりゃあ。いやがらせか(チガウ)
Yさん「老鳥ならあまりつれまわさない方がいいですよ。」
このあたりでもう私の脳内には「ミサヲちゃんががかが」と何も手につかなくなる。
すぐにミサヲを養生用のカゴにうつす。養生かごは狭く止まり木をとってあり、体力を使わせずにゴハンと水にリーチできる仕様。狭いと投薬のために捕獲する際、逃げ回るスペースがないから病鳥に負荷がかからない利点がある。歩いて30分のところにある延命地蔵尊にお参りにいき土下座をする(以来、毎晩往復1時間かけて土下座しにいっている)。
●翌日、夜明けとともにひっそりと鳥部屋を覗くがミサヲちゃんの具合はさらに悪くなっている。七時に(!)小鳥の先生に電話をして状況を伝えると「明日[近所に往診にいった時]でいいですよ」と言われ、私が「でも食事もしていないので明日まで持たないかもしれません」というと、沈黙。それってやはりもう寿命ってこと? たくさんの小鳥をいままで見送ってきたが、何度見送っても小さな無垢な生き物が弱っていく過程はつらい。しかしこの子はトクベツなの(毎回そう言ってるけど 笑)。
ミサヲは2015年にやはり体調不良で病院につれていくと甲状腺の機能低下と言われ、一時はだめかと思ったのに不死鳥のようによみがえった。復活した時は本当にうれしかった。以来投薬は続いているけど、女の子なのに婦人系の病気にもならず、いい感じに今日まで楽しそうな姿を見せてくれていたのに。
● そんなミサヲの2回目の試練は2017年。我が家の鳥たちが次々と天寿を全うし、たった一羽になってしまった時。先代のごろう様(オカメインコ1997-2017)がなくなったあと、彼女はたった一羽になり、私が二ヶ月間泣き暮らしていた間たった1人で我が家の鳥代表をはっていたのだ。
セキセイは群れの鳥である。一羽になるとやはり元気がなくなり「もういっちゃおっかなー」という不穏な空気が漂いはじめた。鳥はニンゲンと違って生に執着しないのでつらいとすぐにあの世にいってしまう。そこで、私は一計を案じて彼女をお迎えしたペットショップにいってそこの鳥たちのさえずりを1時間半録音して、一羽になった彼女が寂しくないようにエンドレスで流した。録音の声でも少しは寂しさが和らぐとみえて時たま囀るようになった時は本当にうれしかった。二ヶ月半後、2017年8月にごろう公(二世)、花姫、ちょろ(早世)が我が家にお輿入れすると我が家はにわかに賑やかになり、ミサヲ様も喜んでいた。だからミサヲちゃんの呼びなきはオカメインコのコピーもまじっている。
夕方に病鳥用フォーミュラを水にとかして飲ませようとするが荒鳥なのでうまく飲ませられない。この日は一日泣いていたので、夕方はものすごい頭痛がした。
●木曜日、日の出とともにミサヲちゃんが生きてますようにと祈って鳥の部屋をあける。生きている。気が抜けて西の空をみると虹がかかっていた。その日は小鳥の先生が往診に来てくださる日なのでミサヲちゃんをつれて朝一に駅前の病院に急ぐ。先生はミサヲちゃんのフンチを検査し、腸が荒れていて真菌がでているとおっしゃり、真菌のお薬と飲む点滴をだしてくださった。それから一日三回の投薬と強制給餌。それから薄紙を剥いていくように少しずつよくなっていった。土曜日にフンチに身がでてきて、ご飯を食べるようになってきたので止まり木をもどす。日曜日、一言だけど囀る。月曜日、右足をあげる症状がきになるが、全体に動きがよくなってきてサラダ菜も食べてくれる。
●火曜日お医者さんにつれていくと、真菌は出ていないので投薬をやめていいです、とのお許しがでる。家に帰りミサヲちゃんを狭い養生カゴから、もとの広いカゴにもどす。ミサヲは気持ちよさそうに羽繕いをはじめた。ひっそりと隠れて覗いていると、小さい声でさえずり始め、午後には澄んだ声で叫びなきもするようになっていた。基礎疾患をもちつつも何度も何度も復活してくれるミサヲの生命力は、もはや崇拝の対象にしてもいいのではないかと思う。
ただ右足はやはりうまく動かないようで、先生は投薬の際に暴れて痛めたのではないかとおっしゃるが、じつは投薬前から右足は変だったような気がする。もし痛風や甲状腺機能低下による麻痺や痛みで足を上げているのだとすればまだまだ気は抜けない。
この日はパラリンピックの開会式でブルーインパルスが飛ぶことが予定されていた。飼い主はオリパラには興味ないけど、ブルーインパルスは好きなので、飛行時間を確認すると、何と親知らずをぬくために某歯科大学病院にいる時間帯にぶつかっていた。仕方無いと思いつつ、病院のある駅におりたつと比較的高台で都心にむかった北側の前が開けているので、急いで歯を抜いてここに来ればブルーインパルス見られるかもしれない。
前に親知らずをこの病院でぬいたのは忘れもしない先代のごろう様(オカメインコ19歳)がなくなる直前の2017年のこと。一本ぬいたら顎関節症になって苦しみ、お医者さんは残る親知らずも全部抜けといったのだが、ごろう様がなくなったこともありそのままブッチした。しかし、四年後の今年、再び近所の歯医者さんからこの病院に送られてしまったのだ。四年前にぬくはずだった歯は思い切り全虫歯になっていた。
抜歯の後、口の中に血の味を感じつつ、急いで駅前に戻り、花壇のふちにあがって携帯を構える。私の横には一眼レフのカメラをかかえた太った見るからにオタクがいる。二時が近づくと私達以外にもたくさんの人が北の空をむいて集まってきた。学習塾の窓やレストランの窓、鉄筋建築の屋上にも人がいる。オリンピックの開会式の時はどの方角から飛んできたかを情報収集し、大体の方角を定めて注視していると、まさにその教わった方角から六機がスモークを曳行しながらやってくる。知らない人同士みんな目を合わせて盛り上がって携帯をむけている。大晦日のカウントダウンみたい。
家に帰るともう二度と聞けないかと思ったミサヲちゃんのさえずりが聞こえた。この世界に心から感謝した。そして夕方、院生Wくんか親が耕している長野の畑でとれたお野菜をお裾分けしてもってきてくれた。何となくこれらはミサヲちゃんの床上げを世界が祝福していくれてるような気分になった。
キセキの鳥ミサヲ。あなたの名前はお迎えした年の最高齢女性の名前にちなんだのよ。年をとるといろいろつらいだろうけど、もう少しがんばって側にいてほしい。