祝! ごろう公の七五三
ごろう公二世は当年とって五才。五才といえば男の子の七五三。先代から御世話になっている神社に丈夫に育ってくれるように祈願にいく。
オカメインコのごろう公は先代からさかのぼれば1997年から下僕(カイヌシの同義語)のために我が家にいてくださっている菩薩の化身である。したがって、我が家の生態系の頂点に位置する。
ごろう様のとさかは警戒するとたちあがり、機嫌がいいときはこの写真のようにくるっとまるまっる。この、トサカがちょろっとみえたご機嫌な状態のオカメはオカメ通の間では「波平」と言われる。現在換羽中のごろう公、わざわざ一番高いカーテンレールで羽繕いをしてイン粉を喘息もちの下僕のために降らせてくれる。かごの上でやってくれ・・。
ごろう公の次にうちに長いのが今年13才になるるり(茶トラ女の子)。厳密にいえばこの子にも前世に同じるりという名の茶トラの女の子がいたのだが、先代の死後意識して探した結果うちにきたわけでないので、一応、当代の在宅年数で処理する。この子は自己中で(てかうちの生き物みな自己中)、一日何度もブラッシングを要求し、要求にこたえるまでナーナー鳴き続ける根気強い猫。
季節の変わり目には必ず胃を壊し吐くのだが、ピアノの上、椅子の上などわざわざ高いところにのぼってはく。当然かたづける範囲は広大になる(ガラス戸にゲロが滝状になってたれていたのには驚いた)。この悪癖により彼女の別名は「マーライオン」 である。
次にうちにながいのはミサヲ様(セキセイインコの女の子9才。お迎えした時成鳥だったから10才かも)。インコは天使だから、病気になると諦めよく天にかえってしまう。昨今SNSで日本中のインコ飼いの動静がわかるが、実に多くのインコが不慮の事故、謎の急死で若くしてこの世を去っている。なのにこの子はなんど病気になっても、泣いてすがったら戻ってきてくれた。孝行娘である。彼女も菩薩の化身かもしれん。
セキセイといえば頭をかくとき目にみえないくらい高速で頭をカカカカとかくものだが、ミサヲ様は大型インコのようにゆっくり足を動かしてかく。こんなことができるセキセイは初めてなので、このゆっくりな生き方が長寿の秘訣かもしれない。
そして、ごろう様二世の妹である五才の花姫(オカメインコ五才) 。彼女は随分よくなってきたとはいえうまれつきアンヨがペローシスで、ふんばりがきかない。いつもアニキであるごろう様にはじきとばされ、カッ、カッと怒っている。インコ三羽は互いに思うところもあるようだが、やはり群の鳥。一緒にいることで落ち着くようで兄妹二羽はいつもいっしょに旋回しているし、ミサヲちゃんも二羽と同じ部屋にいると落ち着いている。
この子たちとできるだけ長く一緒にいられますように。
ここからは大切な話。 2022年11月7日から、一年に一度国連が主催する気候危機に対する27回目の国際会議(COP27) が始まる。昨今の異常気象をみればわかる通り、先進国の排出する二酸化炭素により引き起こされた気候危機は、取り返しのつかないところまで来ている。その主な被害者は途上国と動物たち、とくに鳥である。とくに極地のペンギンたちが餓死による大量死をしていることが我が家のお鳥さまたちの心を痛めている。(「ペンギン」「大量死」でネットを検索すると沢山のニュースがとびこんでくる。)
炭鉱のカナリヤもそうだが、鳥の死はもっとも早く異変のさきぶれを示すので、これからもひどい状況が続くであろう。
ここまでひどくなった理由は明らかである。みなが自分、自分の家族、自分の会社、自分の国の利益だけを、もっと広い目でみれば人間が、自分のエゴを炸裂させたことによって引き起こされた。自然界は声をあげないので、海は汚れ森林が伐採されれば鳥は住処を失う。いまアメリカ大陸の広汎にわたって鳥が大量死しているのも気候変動による山火事そのほかが原因という。
我が家の小さな小鳥たちをみていると、この繊細な生き物が、嵐や熱波の中で簡単に死滅していくのがよくわかる。
自然に法人格をもたせて国の施策に対抗しようという試みを始めているところがいるが、終末の時をどのくらい遅らすことができるのか。先進国の我々がエネルギーや資源を無駄に消費せず生活スタイルをかえていかなければマジでこの地球、終わる。
この状況をうけてSDGs(自分ではなく地球全体を考えてビジネスや生き方をかえる)プロジェクトが始まり、小学校でも教科となっている。この地球は我々だけが住んでいるわけではない。私も超微力ながらSDGsを啓発する国連クラシックライブ協会のミュージカルのシンポジウムにださせていただき、仏教の思想はSDGsを先取りしており、だから過去の世界は破綻しなかったとかいうお話しをさせていただいている。
実生活でも車の免許も持ってないし必要最低限のものしか買わないし、旅行も親族の葬儀や学会など必要最低限。自宅は省エネ住宅。こういう生活はじつは結構快適である。自分がどんどん小さくなっていってきたるべき最期にむかっていく自然な流れにのっている気がする。その最期の旅路にいまいる生き物たちが一羽一匹でも多く伴走してくれることを願っている。