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チベット歴史年表


  ごろうちゃん:

 「チベットの歴史は四期にわけて考えると理解しやすい。日本史においては、歴代の天皇の存在が、古代から現代に至るまでの日本史に一貫した歴史像を提供しているように、チベット史では観音菩薩の化身の出現がチベットの歴史像に一貫性を持たせている。

 具体的には、観音菩薩は古代統一王朝ではソンツェンガムポ王などとして王の姿でチベットを統治し、10世紀にはじまる地方教団の時代には、各宗派の高僧となって現われてチベットを教化し、17世紀以後は前の二つの時代を止揚した僧王ダライラマとして登場したと考えられている。

 つまり、現在チベット世界の盟主としてノーベル賞までもらっちゃったダライラマという高僧は、観音様で、今だけでなく前世において何度もチベットに現われて、TPOに応じた姿でチベット世界を教化してきたと信じられているんだ。

このような、チベット人の歴史観以上のことを知りたい方のために、このコーナーでは最初に大まかな歴史の流れをのべた後に、事件年表をあげてみました。」へ


観音菩薩に祝福されたチベットの歴史

I. 菩薩王の時代 −吐蕃王朝−(6世紀〜10世紀

(a) 観音菩薩がチベットの地を祝福

(b) ユンブラカン宮に天空から経典が降臨。仏教がはじめてチベットに伝わる

(c) 観音菩薩の化身であるソンツェンガムポ王がチベットを開国

(d) ティソンデツェン王がパドマサンバヴァを招聘しチベットに密教が伝わる

(e) 8世紀の唐王朝も圧倒した古代王朝の絶頂期 (→ 唐蕃会盟碑 / 敦煌文書)

(f) 9世紀のダルマ王の廃仏運動と古代王朝の終焉

II. 教団仏教の時代(10世紀〜1642年

(a) インドよりアティシャが招聘されて仏教が再興

(b) 各宗派の開祖とその分派

(b-0) ニンマ派 パドマサンバヴァ(Padma 'byung gnas 8世紀)

(b-1) サキャ派 クンガーニンポ(Kun dga' snying po 1092-1158)

(b-2) カギュ派 タクポラジェ(Dvags po lha rje 1079-1153)

(b-3) ゲルク派 ツォンカパ(Tsong kha pa 1357-1419)

  

III. 僧王ダライラマの時代(1642年〜1959年)

(a) ソンツェンガムポ王の転生者であるダライラマ五世が、1642年にモンゴルのグシ=ハンの後援をうけてチベットを統一。

(b) ダライラマ五世の権威は中国、モンゴル、ネパール、ブータンに及び、空前のチベット仏教世界を構築。(→ ポタラ宮

IV.中国支配下の時代(1959〜現代)

(a) 1959年、夏の宮殿ノルブリンカよりダライラマがインドへ亡命

(b) 共産中国の支配を受けてチベット仏教は壊滅的打撃を受ける(→ 文化大革命)

(c) No.2活仏であるパンチェンラマ10世の活動と謎の死

(d) パンチェンラマ11世選定をめぐるダライラマと中国政府の確執

→ ダライラマのノーベル平和賞受賞

   ダライラマの推した11世パンチェンラマは拉致され世界最年少の政治犯に

→ 関連リンク

1.http://www.tibet-society.org.uk/panchenupdate.html

2.http://www.rangzen.com/panchenlama/gcnbio.html

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歴史年表(いちいち原典にあたってません。うふっ)

581
ソンツェンガムポ王生まれる(山口説)。
593
ソンツェンガムポ即位。

600

608
随に使いを送る。附国称する。
609
吐谷渾王伏允、黄河の河源に亡命。
617
ソンツェンガムポ王生まれる (チベット年代記説)。
620
ソンツェンガムポ王、吐谷渾と通婚、官位十二階位制を発足。
634
吐谷渾王伏允、唐に滅ぼされ、吐谷渾混乱。
638
吐蕃軍、松州を包囲。グンソン・グンツェン王即位。
640
唐の文成公主、ソンツェンガムポ王妃として吐蕃へ。
643
グンソングンツェン王死す。ソンツェンガムポ王再び王位へ。
646
文成公主、唐よりジョーシャカムニを将来してソンツェンガムポ王と同居。
649
ソンツェンガムポ王死す。
654
軍戸と民戸を分け、軍需調達大制度を発足させる。
670
吐蕃、安西を攻め、西域に進出する。
680
文成公主死す。
698
外戚のガル一族亡びる。

700

710
唐の金城公主、吐蕃に嫁入りする。
717
金城公主、唐蕃和平を仲介する。
718
ティソンデツェン王、生まれる。
734
唐と吐蕃の間の日月山に境界碑が建立される。
736
和平を破って、唐が吐蕃を襲う。
739
金城公主死す。
747
唐の高仙之、吐蕃の西で大勝する。
752
南詔のカクラボン、吐蕃王の義弟になる。
753
唐に河西九曲を奪回される。
754
ティソンデツェン王、仏教の国教を決意する。
755
唐で安禄山の乱おきる。
761
ティソンデツェン王
763
吐蕃占領地拡大、10月長安に進入する。
767
唐に派遣する。
770
インドからシャーンタラクシタ、チベットに。
775
サムエ寺建立はじまる。
779
サムエ寺の本堂建立される。チベットから初の出家僧が六人でる。経典の翻訳がはじまる。
786
敦煌、チベットの領土になる。マカエン和尚入蔵。
791
吐蕃王妃ドサ、マカエンの信徒となる。
794
カマラシーラがインドより入蔵。サムエの宗論にてマカエンを破る。
796
ティソンデツェン王、退位。カマラシーラ殺される。

800

803
セナレク即位。ティデソンツェン王となる。
814
『翻訳名義大集』このころ翻訳される。
815
ティデソンツェン王、死す。
822
唐蕃間で和平成立、唐蕃会盟碑が建立される。
824
『デンカルマ』訳経目録成立。
841
ティツクデツェン王、死す。ダルマ王即位。
842
ダルマ王、殺害され、吐蕃王朝は南北に分裂する。王室仏教時代、終焉する。
958
リンチェンサンポ生まれる。

1000

1008
吐蕃王の末裔ティデ、青海にてゲルセー(菩薩)と呼ばれる。
1032
ゲルセ王家は青唐王国を青海に建てる。
1042
アティーシャ、西チベットに入る。そして、3年後に中央チベットへ来る。
1056
ドムトゥン、ラデン寺を建立する。このことにより、カダム派、はじまる。
1073
サンプ大僧院が建立される。サキャ派、はじまる。

1100

1121
カギュー派、はじまる。
1158
パグモドゥ派、テルに僧院を建立する。 
1159
カルマ・ドゥスムケンパ、ツゥルプにいたる。

1200

1204
シャキャシュリーバドラ、インドより入蔵。
1239
チンギスハンの末裔ゴダン、入蔵してゲルラカンを燃やす。
1244
サキャパンディタ、ゴダンの宮廷に赴く。
1251
モンゴルでモンケ即位。
1256
カルマパクシ、モンケハンの師となる。
1260
モンゴルで、フビライ即位。パクパ、フビライの国師となる。
1267
フラグ、ディグン派と通行する。
1270
パクパ、帝師となる。
1277
フビライ、南チベットに侵攻。
1280
パクパ、死す。
1290
フビライ、ディグン寺を潰す。同年、プトゥン生まれる。

1300

1322
パグモドゥ派の長に、チャンチュプゲルツェンがつく。
1334
シャル寺版、テンギュル成立。
1349
パグモドゥ派、サキャ派にかわりツァンを制圧。
1354
チャンチュプゲルツェン、サキャ派にかわりチベットを支配。
1357
ツォンカパ、青海地方に生まれる。
1362
チョンゲェー版、テンギュル成立。
1364
プトゥン、死す。
1373
ツォンカパ、中央チベットに入る。

1400

1406
パグモドゥ派、明よりせん化王印をもらう。
1409
ガンデン寺、建立され、祈願会がはじまる(ゲルク派のはじまり)。
1410
永楽版カンギュル成立。
1416
ゲルク派、デプン寺を建立する。
1419
ゲルク派、セラ寺を建立する。
1429
サキャ派、ゴル寺を建立する。
1434
パグモドゥ派のサンゲゲルツェン、リンプンパに軟禁される。
1447
ゲルク派、タシルンポ寺を建立する。カダム派のデルゲ寺、建立さる。
1454
パグモドゥ派の座主にガルキワンチュク即位。
1458
ガルキワンチュク、位を追われる。
1480
リンプンパ・トンユドルジェ、キショをおそう。
1491
ガルキワンチュク死す。
1493
カルマ紅帽派、チュータクイェーシェーがパグモドゥ派のテル寺僧院長となる。
1498
リンプン派、キショを攻め、ラサの祈願会をゲルク派からカルマ派にうつす。

1500

1512
リンプン派のトンユドルジェ死す。ゲンドゥンギャムツォ(後のダライラマ二世)、タシルンポ寺の僧院長となる。
1516
リンプン派とパグモドゥッ派が争い、カルマ紅帽派が調停する。
1518
ゲルク派、ラサの祈願会を復活する。
1537
ディグン・カギュ派、コンポの兵を動かし、ゲルク派の18寺を奪う。
1544
ソナムギャムツォ、ゲンドゥンギャムツォの化身と認定される(のちのダライラマの転生のはじまり)。
1565
シンシャクパ、シガツェを支配する。
1570
タクルン・カギュ派、ディグン・カギュ派からゲルク派へ移行。
1575
シンシャクパ、キショを襲撃。
1578
ダライラマ三世、モンゴルのアルタンハンと青海で会合し、称号を交換する。アルタンはソナムギャムツォにダライラマ(海の上人)の称号を奉る(ダライラマ号のおこり)。
1588
ダライラマ三世、モンゴルで客死。
1589
ダライラマ四世、アルタンハンの甥に転生する。

1600

1603
ダライラマ四世、入蔵する。
1605
カルマ派、シンシャク派にゲルク派を襲撃させる。
1606
万暦版カンギュル、成立。
1612
シンシャク派、中央チベット制覇。
1616
ダライラマ四世、死す。ブータンにドゥクパ・カギュ派の国ができる。
1617
ダライラマ五世生まれる。
1618
シンシャク派、ゲルク派のセラ寺、デプン寺を襲撃する。
1621
青海のトメト・モンゴル軍、ゲルク派のために入蔵し、シンシャク派軍とキャンタンガンで交戦。
1623
ジャン版カンギュル開版する。
1624
イエズス会のアンドラデ神父、グゲ王と会見。
1628
イエズス会のカプラル・カセーラ神父、ツァン王のカルマテンキョンワンポと会見。
1630
カセーラ神父、シガツェにて客死。
1632
ハルハ・モンゴルのチョクトハン、青海に進出。
1634
チンギスハンの正統な末裔、リンデンハン青海にて客死。
1635
ハルハ・モンゴルのチョクトハン、アルスランを派遣してゲルク派を襲撃させるも、改心。ゲルク派の擁護にまわる。
1636
オイラト・モンゴルのグシハン、ダライラマからテンジンチューキゲルポの称号を授かる。
1640
イエズス会、ツァプランの伝導を諦める。
1641
グシハン、ツァンを襲撃。
1642
グシハン、中央チベットを支配。
1644
ダライラマ政権、ブータンと交戦。
1645
ダライラマ五世、ポタラ宮着工。
1652
ダライラマ五世、北京巡錫。
1654
グシハン死す。
1656
摂政ソナムラプテン死す。
1659
ポタラ宮にダライラマ五世常駐。
1661
グリューベルとドルヴィル、青海からラサに入りネパールにぬける。
1662
パンチェンラマ一世死す。
1666
オイラト・モンゴルのガルダン、チベットから故国へ戻る。
1673
清朝で三藩の乱始まる。
1678
ガルダン、ダライラマ五世よりガルダンテンジンボショクトハン号を授かる。
1679
サンゲギャムツォ、摂政となる。
1682
ダライラマ五世死す。摂政サンゲギャムツォ、五世の死を秘匿する。
1688
ガルダンとハルハ・モンゴル交戦。
1691
ポタラ宮紅宮部分着工。
1693
ダライラマ五世の塔完成。
1695
ポタラ宮紅宮部分完成。
1696
ジョーンモドの戦いでガルダン、清朝に敗れる。サンゲギャムツォ、ダライラマ五世の死を公表する。

1700

1702
ダライラマ六世、還俗する。
1705
ラサンハン、摂政サンゲギャムツォを殺し、チベットを支配する。
1706
ダライラマ六世、青海で死す。
1708
ダライラマ七世、リタンに生まれる。カプチン派神父ラサに入る。
1709
ジャムヤンシェーパ、青海にタシキル寺を建立。
1715
ダライラマ七世、クンブム寺に迎えられる。
1716
カプチン派デジデリ、フレヤー両神父、ラダック、ラサへくる。
1717
オイラト・モンゴルのジュンガル軍、ラサンハンを襲い殺す。
1720
清朝、青海ホショトの連合軍、ダライラマ七世を擁してラサに入る。ジュンガル軍敗退。
1721
カプチン派デジデリ神父ラサを去る。
1723
青海ホショト、清朝に滅ぼされる。
1726
清朝、カンチュンネーにニンマ派を弾圧させる。
1727
カンチュンネー内戦で死す。ペルプン寺が建立される。
1728
清朝により内戦が終わり、ダライラマ七世、ガルタルに軟禁される。
1731
チョネ版カンギュル開版。
1732
ナルタン版カンギュル、シェカルで開版。
1733
デルゲ版カンギュル開版。
1735
チャンキャ・ロルペードルジェ、清朝より印璽をもらう。
1740
ポラネー、清朝より郡王位をもらう。
1742
ナルタン版テンギュル開版。カプチン派、伝導を諦める。デルゲ版テンギュル開版。
1747
ポラネー死す。その子ダライバートルが郡王をつぎ、清朝にさからう。
1750
駐藏大臣、ギュルメナムゲルを殺して、さらに殺される。
1751
清朝、ダライラマ七世に実権をかえす。
1759
ゲオルギ著『チベッとのアルファベット』出版さる。
1760
チョネ版テンギュル開版する。
1769
グルカ、ネパールを支配する。
1774
ボーグル、タシルンポ寺を訪れる。
1779
パンチェンラマ三世、乾隆帝の誕生日に北京に招かれる。
1783
ターナー、タシルンポ寺を訪れる。
1788
グルカ、チベットに侵攻。
1791
グルカ、再びチベットに侵攻。
1792
チベット軍、キーロン、ニャナンまでグルカを押しもどす。
1793
清朝、大活仏位を籤で選ぶことを決定(金瓶制籤のはじまり)。
1798
デルゲで『ニンマギューブム』開版される。

1800

1804
ダライラマ八世死す。
1822
チョーマドケレス、ラダック地方のレーに至る。
1826
シュレーター『チベット語辞典』出版さる。
1842
ドクラ戦争の講和。
1855
ダライラマ十一世、即位。グルカ、チベットに侵攻する。
1856
グルカと講和する。
1858
ダライラマ十二世とラデン活仏の間に内攻。
1862
シェーダワ、摂政となる。
1863
シェーダワ、ニャロンのグンポナムゲルのデルゲ侵入を妨げる。
1864
シェーダワ死す。
1871
ペンデントンドゥップ、ダライラマ十二世を廃位することを企図する。
1875
ダライラマ十二世死す。クンデリン寺のタツァク活仏、ダライラマにかわって執政する。
1877
ダライラマ十三世発見さる。
1881
チャンドラ・ダス、入藏。
1885
ブリヤートのドルジェフ、デプン寺に入る。
1886
テンゲリン寺のテモ活仏が執政職につく。
1890
イギリス、清朝にシッキム条約を結ばせる。
1895
ダライラマ十三世、執政する。
1898
ロシア・バラノフ使節団、ラサに至る。
1899
カーゾン、インド総督になる。寺本婉雅、能見寛、バタンに入る。

1900

1900
河口慧海、中央チベットに入る。ダライラマ十三世、ドルジェフをロシアにおくる。
1901
成田安輝ラサに至る。
1903
イギリスのヤングハズバンド、チベットに侵攻。
1904
ダライラマ十三世、イギリス軍により外モンゴルに亡命。ダライラマの不在にもかかわらず、ヤングハズバンドはラッサ条約をおしつける。
1905
パンチェンラマ六世、インドを訪問。
1906
イギリスと清朝の間でチベットをめぐる条約が締結される。
1907
ダライラマ十三世、北京に向かう。
1908
ロックヒル、大谷尊由、寺本婉雅ら、五台山でダライラマ十三世と会見。ダライラマ十三世西大后と会見。
1909
ダライラマ十三世、ポタラ宮に帰還する。
1910
清朝軍、ラサに侵攻。ダライラマ十三世、インドへ亡命する。
1911
パンチェンラマ六世、ラサにおいて清朝軍と協力。清朝亡ぶ。
1913
ダライラマ十三世、ポタラ宮に帰還する。
1914
イギリス、チベット間でシムラ条約締結。
1917
チベット軍、チャムドを中国より奪回。
1923
パンチェンラマ六世、チベットを脱出。
1930
チベット軍、四川と西寧の中国軍と交戦。
1932
チベット軍、金沙江以東を失う。
1933
ダライラマ十三世、死す。
1934
ラサ版カンギュル開版さる。
1937
パンチェンラマ六世、カムのジェクンドで死す。
1939
ダライラマ十四世、ラサに入る。
1945
第二次世界対戦終わる。
1947
インド独立。
1949
中国共産党成立。チベット開放宣言を出す。
1951
中共、チベットに「十七条平和開放協定」を結ばせる。
1954
ダライラマ十四世、パンチェンラマ七世、第一回全国人民代表大会に出席する。
1958
東チベットで反共ゲリラ最高潮。
1959
ダライラマ十四世、インドに亡命する。


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