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転生する高僧たち


  ごろうちゃん:

「菩薩は何度もこの世にもどってきて人々を救済する」という
菩薩思想を堅く奉ずるチベットでは、

高僧の死後、その地位を転生者に継承させるという転生相続制があります。

もっとも有名な転生僧の系譜は、言うまでもなくダライラマですが、
どの僧でも転生する可能性はあります。

チベット仏教が世界規模で広がってきた昨今では、

布教の最前線にあったチベット僧が、死後アメリカ人や
スペイン人に転生した何て話もよく聞きます。

ハリウッド映画「リトル・ブッダ」「セブンイヤーズインチベット」は、そういう状況を反映しているんですね。

それでは、もっとも著名な転生僧を御紹介しましょ〜う。


I. ゲルク派、高位の転生僧

 (a) ダライラマ

 信仰の世界では、ダライラマ一世以前にも、古代インドやネパールをへて古代チベットの諸王に至る、長い転生譜が存在する。

(1) ゲンドゥンドゥプ (dge 'dun gurb 1391-1475)

(2) ゲンドゥンギャムツォ(dge 'dun rgya mtsho 1475-1542)

(3) ソナムギャムツォ(bsod nams rgya mtsho 1543-1588)

(4) ユンテンギャムツォ(yon tan rgya mtsho 1589-1617)

(5) ガワンロサンギャムツォ(ngag dbang blo bzang rgya mtsho 1617-1682)

(6) ツァンヤンギャムツォ(tshangs dbyangs rgya mtsho 1683-1706)

(7) ケルサンギャムツォ(skal bzang rgya mtsho 1708-1757)

(8) ジャムペーギャムツォ('jam dpal rgya mtsho 1758-1804)

(9) ルントクギャムツォ(lung rtsogs rgya mtsho 1806-1815)

(10) ツゥルティムギャムツォ(tshul khrims rgya mtsho 1816-1837)

(11) ケドゥプギャムツォ(mkhas grub rgya mtsho 1838-1856)

(12) ティンレーギャムツォ(phrin las rgya mtsho 1856-1875)

(13) トゥプテンギャムツォ(thub bstan rgya mtsho 1876-1933)

(14) テンジンギャムツォ(bstan 'dzin rgya mtsho 1935-)

 (b) パンチェンラマ

 歴史的には、ダライラマ五世の師であったパンチェンラマ四世が、第一代パンチェンラマである。

 現在、パンチェンラマ十一世の転生者をめぐり、ダライラマ政権と中国共産党が反目中。

 まず、ダライラマがゲンドゥンチュキニマという童子を十一世として認定したが、中国共産党はこの子を拉致して、別の童子を擁立してタシルンポ寺 (パンチェンラマの座爿床寺) で即位させた。しかし、この童子もテロを恐れて公衆の面前にでることはない。

(1) ケドゥプ=ゲレクペルサンボ (mkhas grub dge legs dpal bzang po 1385-1438)

(2) ソナムチョクラン(bsod nams phyogs glang 1438-1505)

(3) エンサパ=ロサントンドゥプ(dben sa pa blo bzang don grub 1505-1568)

(4/1) ロサンチューキゲルツェン(blo bzang chos kyi rgyal mtshan 1569-1662)

(5/2) ロサンイェーシェー(blo bzang ye shes 1663-1737)

(6/3) ロサンペルテンイェーシェー(blo bzang dpal ldan ye shes 1737-1780)

(7/4) テンペーニマ(bstan pa'i nyi ma 1781-1852)

(8/5) ペルテンチューキタクパ(dpal ldan chos kyi grags pa 1853-1882)

(9/6) ゲレクナムゲル(dge legs rnam rgyal 1883-1937)

(10/7) ロサンティンレールンドゥプチューキゲルツェン(blo bzang phrin las lhun grub chos kyi rgyal mtshan 1938-1989)

II. カギュ派の転生僧の相関図

 もっとも歴史のある黒帽ゲルワカルマパを中心として、その弟子たちがさらに転生僧の系譜をつくりあげていった。ゲルワカルマパ以外の転生系譜の初代は、同じ行で同色の初代ゲルワカルマパの弟子である。ゲルワカルマパが逝去すると次代が成人するまでは、残る四系譜の高位の転生僧が合議制でカルマ派を運営する (Karmapa the black hat lama of Tibet, Compilied by Nik Douglas & Meryl White LUZAC 1976)。1981年に亡命先で黒帽16世が円寂したのち、1992年になって16世の護身符の中に秘されていた遺書が発見され、その遺書に基づいて現在の17世カルマパが選ばれ、ダライラマならびに中国政府の両者によって認定された。インドの亡命社会の中にはこの遺書を贋作とし別の人物を奉じる勢力も存在するが、ごく少数である。

(a) 黒帽 (zhva nag)

カルマパ黒帽一世(1110-1193)

カルマパ黒帽二世(1204-1283)

カルマパ黒帽三世(1284-1339)

カルマパ黒帽四世(1340-1383)

カルマパ黒帽五世(1384-1415)

カルマパ黒帽六世(1516-1453)

カルマパ黒帽七世(1454-1506)

カルマパ黒帽八世(1507-1554)

カルマパ黒帽九世(1556-1603)

カルマパ黒帽十世(1604-1674)

カルマパ黒帽十一世(1676-1702)

カルマパ黒帽十二世(1703-1732)

カルマパ黒帽十三世(1733-1797)

カルマパ黒帽十四世(1798-1868)

カルマパ黒帽十五世(1871-1922)

カルマパ黒帽十六世(1924-1981)

カルマパ黒帽十七世(1985-)

(b) 紅帽(zhva dmar)

 

 

カルマ紅帽派一世(1283-1349)

カルマ紅帽派二世(1350-1405)

カルマ紅帽派三世(1406-1452)

カルマ紅帽派四世(1453-1524)

カルマ紅帽派五世(1525-1583)

カルマ紅帽派六世(1584-1630)

カルマ紅帽派七世(1631-1694)

カルマ紅帽派八世(1695-1732)

カルマ紅帽派九世(1733-1741)

カルマ紅帽派十世(1742-1792)

カルマ紅帽派十一世(1880-1947)

カルマ紅帽派十二世(1948-1950)

カルマ紅帽派十三世(1952-)

 

(c) シトゥ(si tu)

 

 

 

 

シトゥ一世(1377-1448)

シトゥ二世(1450-1497)

シトゥ三世(1498-1541)

シトゥ四世(1542-1585)

シトゥ五世(1586-1657)

シトゥ六世(1658-1682)

シトゥ七世(1683-1698)

シトゥ八世(1700-1774)

シトゥ九世(1774-1853)

シトゥ十世 (1854-1885)

シトゥ十一世(1886-1952)

 

(d)ゲルツァプ(rgyal tshab)

 

 

 

 

 

ゲルツァプ一世(1427-1489)

ゲルツァプ二世(1490-1518)

ゲルツァプ三世(1519-1549)

ゲルツァプ四世(1550-1617)

ゲルツァプ五世(1618-1658)

ゲルツァプ六世(1659-1698)

ゲルツァプ七世(1699-1765)

ゲルツァプ八世(1766-1820)

ゲルツァプ九世(1821-1876)

ゲルツァプ十世(1877-1901)

ゲルツァプ十一世(1902-1959)

(e)パオ・トゥルク(dpa' bo)

 

 

 

 

 

 

パオ一世(1440-1503)

パオ二世(1504-1566)

パオ三世(1567-1633)

パオ四世(1633-1649)

パオ五世(1649-1688)

パオ六世(1701-?)

パオ七世(?-1781)

パオ八世(?-?)

パオ九世(1912-)

 


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