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それはのどかな秋の昼下がりであった。ごろうちゃんはダンナの指さきにとまって、くちばしで指の先にちょっとふれた。すると、真っ赤な鮮血がダンナのひとさし指にしたたりおちた。私の目にはごろうちゃんが血を吐いたように見えた。
ダンナ「ああっ、出血してる?!!」
私「口からに見えた。どうしよう、あわわわ」
その時私が感じた恐ろしさは、どのような大家の筆をかりても表現しつくすことはできまい。貞子がテレビからはい出てきたより、顔面しろぬりの母子(c呪怨)が押し入れからでてきたより、それは恐ろしい一瞬であった。
二人の動揺ぶりが伝わるのか、ごろうちゃんはダンナの指から腕にむかってよじのぼりはじめた。その間にも、ごろうちゃんの体のいずこからともなく血が落ちる。
私「あああ、あなた、動揺しないで。ごろうちゃんに動揺が伝わる。ひいいいい、また血が。」
ダンナ「ごろうちゃん、ごろうちゃん、あわわわわ」
このように二人で思いきり取り乱したため、ごろうちゃんは異常を察知して腕から頭の上に向かいはじめた。そして頭の真上にきた時、またぽたりと血が落ちた。右の翼だ。右の翼から出血している。
その時二人が感じた動揺は、いかなる震度型の針もふりきったことだろう。しいていえば、スマトラ沖地震とパキスタン北部地震が一緒にやってきたよりも、二人は動揺していた。
私「喀血じゃない。羽の血だ。最悪の事態じゃないよ。でも、羽軸からの出血だったら、おれた羽をぬかなきゃ血はとまらないよ。」
とりあえず動揺を鎮めるため、
CAPの鳥さん相談コーナーに電話をかけようと、隣の部屋に行く。すると、電話の好きなごろうちゃんは、私の肩に飛んできた。そう、本鳥は出血に気づいていないのである(さすがはオカメインコ・・・)。ごろうちゃんが飛び立つと、羽からとびちった血はダンナのメガネ、私のシャツ、そのほかもろもろにスプラッタにとびちった。ひぃぃぃぃぃぃぃぃ〜っ。
100gちょっとの鳥がこれだけの血を流すということは、人に換算したら洗面器一杯くらいになるんじゃないか、とか、よせばいいのに、そんなことばかりが頭にうかぶ。受話器を握る手が震える。
電話口にでたCAPさんによると、「指ででも、布ででも、傷口を強く押さえれば、血はとまります。もし羽軸から出血しているなら、残った羽軸をぬきとってください。それでもとまらないようならお医者さんへ」ということであった。
すでにかなりな出血をしている愛鳥をおさえこんで、あまつさえ、出血している羽をぬきとるという荒技を、敢行できる飼い主がこの日本のどこにいるであろうか。少なくとも私にはそんな度胸はない。親の心を知らないごろうちゃんは電話が嬉しくて「ごろうちゃん」とか肩でゴキゲンにおしゃべりしている。「そんなヨユウがあるならまず血をとめろ!!!」動揺がきわまってわけのわからなくなってきた、たわし、もとい私は、ごろうちゃんにまで怒りはじめていた。
電話をきって、とりあえず出血部位をみようと鏡の前にたつと(肩にいるので自分からは見えない)、どうも血はとまったようである。しかし、ごろうちゃんがさすがにおかしいと気づいて羽のチェックをはじめた。まずい、まずすぎる。サラブレッドも鳥もそうであるが、繊細な生き物は、小さな傷でも気にしてつついて、そのうちに傷を大きくして、ひいては●んでしまうことがあるのだ。せっかく血がとまったのだから、羽をさわらせてはならない。エリザベスカーラーも考えたが、これをつければ、ごろうちゃんにものすごくストレスを与える。
そこで、二人は考えた。日没には少し間があるが、日が暮れたことにして寝かせてしまおう。そうすれば、羽繕いをしないだろう。この作戦は「逆牡丹灯籠作戦」*注1と命名された。
*注1説明しよう。牡丹灯籠とは中国の小説『牡丹亭還魂記』が原作である。お話はこうである。とある男が亡霊の女に見初められた。その女が夜な夜な男のもとに通ったため、男は死にそうになってきた。男を救おうとした人が、男の住む庵のまわりに魔よけのお札をはりまくり、夜が明けるまで女をいれるなと命令した。亡霊の女は、その夜も牡丹灯籠をかかげてからーん、ころーん、とゲタをならして男のもとを訪れたが、お札があるので入れない。女は恨めしい言葉をはきながら庵のまわりをぐるぐるまわっていたが、やがて静かになった。男が外を見ると、明るかったので、「夜が明けたのか、助かった」と思い、外にでると、夜明けとおもった灯りは、実は月明かりで、男は亡霊の女にとりころされてしまった。という、じつにしょもない話。逆牡丹灯籠作戦には、この「月明かりを夜明けとみせかけて取り殺す」という古典技を逆手にとって、「夕方を夜にみせて生かす」という奥深い意味があるのである。
まず、夜中にお腹が空かないように、高栄養のフォーミュラを食べさせて、雨戸をしめきった部屋にごろうちゃんのカゴをうつした。しばらくごそごそいっていたが、じきに静かになった。眠ったようである。何度ものぞきたい心理にかられたが、傷口をふさぐためにもゆっくり休ませねば。
そして、翌朝、ごろうちゃんの朝鳴きは六時四十五分にはじまった。静かになったところでのぞいてみると、ごはんを食べている。床に血のあとなどはない。とりあえず、よかった。しかし、カゴからだしてしばらくすると、ことあるごとに右の翼を繕おうとする。まだ、油断はできない(本日)。
ちょうど去年のいまごろ餓鬼道が喧嘩に負けてあごに大きな傷をつくって帰ってきた。その時は、血まみれの餓鬼道をみても、まるで平常心で対処できたのに、ごろうちゃんだと出血がとまった今ですら、ひやひやが感がとまらない。餓鬼道とごろうちゃんでは体の大きさも違うし、なにより、かけている愛情の量が違う。お釈迦様は、執着は不安や苦しみの原因となると説くが、まこと、仏教は真理である(って実践しろよ)。
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