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ごろうちゃんの全快日記


この春ごろうちゃんが大病をした。
これは、その暗黒の日々と、そこからの帰還の記録である。


   全快のご真影。
ラフィーバ社のペレットをコーヒーミルで挽いたものをまぶしたカナリアシード。


 発病一日目 
 ごろうちゃんの様子がおかしい。猛暑の時にやるような姿で翼を半分あげ、口をはくはくさせて、ごはんも食べず、やっと一口食べたらそれをすぐに吐いてしまった。あわてて、横浜のグローバル動物病院につれていく。病院の先生は、「手乗りの鳥は時々こうやってごはんを食べなくなるんだよね。何かの中毒かもしれません。とにかく食事をはじめるまで血糖値を下げないように」とおっしゃり、とりあえず強制給餌をしてもらう。しかし、帰りのタクシーの中でおかしな音がするのでのぞいてみると、ごろうちゃんは強制給餌をすべて吐いてしまっていて、さらに、ものすごく気持ちわるそうにへたりこんでぜいぜいしている。しかも、吐瀉物が顔や体にからみついており、かわいそうでみていられない。こんなに具合が悪いのに無理矢理強制給餌をしたこと、また、今まで家からほとんど出たことがなかったのに、この外の世界の轟音が彼にどれだけ不安を与えてるかと思うと、申し訳なさと不安で文字通り心臓が痛い。
  午後になっても具合は一向によくならず、食事はおろか、熱もさがらず、くちばしまであつくなってきて、ぜいぜいいっている。どうしようもないので、るりをみとってくれた近所の動物病院にいってみる。すると、また中毒を疑われ、これほど息が上がっている鳥はショックで何がおきるかしれないので輸液はできない、と言い渡される。しかし、抗生物質はだしてもらった。この小さい鳥がごはんを食べないでどれだけ持つのか。それより、この熱でどうにかなってしまうのではないか。もういてもたってもいられないので、仏壇の掃除をし、燈明をあげ、ひたすらご先祖の霊にごろうちゃんの平癒を祈る。少しでも食欲が出たときに役に立つかもと四駅先のペットショップまでヒナ用のアワ玉を買いにいく。不安で食欲がわかず、人の夜ご飯は十時になった。人間が投薬しようとも、ごはんを食べさせようとしてもごろうちゃんの具合は一向によくならない。不安に押しつぶされる。夜の十二時、二時に具合をみるが一向によくならない。

発病二日目 
  朝五時におきてごろうちゃんを見るも、朝のごはんをまったく食べていないし、容態も悪いままでかわっていない。ここで私はすっかり恐慌状態になり自分でも何をやっているのかわからなくなってくる。グローバルと近所の動物病院に八時前から電話をかけ続けて(さぞや迷惑であっただろう)、やっとつながったグローバルでは「籠の中でうつらうつらしているのも、移動のキャリーでうつらうつらするのも一緒、だから強制給餌につれてこい」という。しかし、昨日一日全く食事をしていないのにあの片道一時間の道のりを轟音の中つれまわして、また吐くだけというのであれば、果たしてつれていく意味はあるのか。次に近所の動物病院の先生につながると、「抗生物質はきくまでに十二時間はかかる。それにあれだけ呼吸が昂進している子に強制給餌は負担がかかりすぎるのでできない。」と見放すようなことを言われる。せっぱつまって、16才のオカメインコのママに電話で意見を仰ぐと、止まり木にとまっているなら大丈夫とのこと。彼女のオカメインコも具合が悪くなった時は二日間何も食べなかったし、食べ始めた時も一粒二粒だったという。それを聞いて少しは悶絶が落ち着くも、やはりまったくごはんをたべずへたりこんでいる姿を見ていると何とかしなければと気ばかり焦る。
  午後一杯、ダンナと強制給餌をするかしないかで議論する。ダンナはグローバルの先生の言うことが正しい。できることがあればやるべきだと前向きに主張するが、わたしは、これだけ苦しそうなのに、無理矢理口にごはんをねじ込んでも前のように吐いてさらに具合が悪くなる、意味がない、と後ろ向き。かつて末期癌の母にすがりついて母を精神的・肉体的に苦しめたので、もう二度と同じ過ちはおかしたくなかった。考えたくない現実であるが、もしもこれが運命ならば受け入れなければならない。ごろうちゃんを苦しめてはいけない。もう選択肢はないのだ。血が流れるように心が苦しい。これなら自分の癌宣告の方がナンボかましだ。結局、議論は平行線で投薬を続けながら様子をみることにした。
  夕方、我が家から比較的近く、しかも評判のよい馬場動物病院に相談の電話をいれる。しかし「お話を聞くとかなり悪いようで、連れてこられても何もできないこともあります。それでもいい、どうなってもいいというのなら治療してもいいです」とのごりっぱな答え。どの医者もよわった鳥の治療はびびってしたがらないのだ。世界に見放されたような絶望感にとらわれる。夕方、ごろうちゃんは自分から篭をでようとして、二粒だけごはんをたべ、水をのんだので、わずかに希望が見える。しかし、すぐにうつらうつらする。
  夜はごろうちゃんに抗生物質と蜂蜜強化アワ玉をたべさせる。投薬といういやなことをやるので、ごろうちゃんはわたしたちを嫌いだした。ごろうちゃんが悪くなってから、ダンナはひどい偏頭痛、わたしはものすごい腹痛と吐き気におそわれていて食事をしないので、二人ともどんどんやせる。何もしてあげられない無力感に吐き気がする。午後から冷える。

発病三日目 
 今日こそ自然の治癒力でごはんを食べ始めているのではないかと、毎朝期待してごろうちゃんの部屋に入るのだが、やはり全くごはんを食べていない。それも三日目ともなると、もう形容しようがないほど不安が全身をさいなむ。結局ダンナの主張「われわれはテクニックがないからごはんをたべさせることができない。鳥に負担をかけない先生なら、うまく強制給餌ができるのでは」に屈して、日曜日も開いていて、インターネット上で評判のよい馬場動物病院にいくこととする。タクシーにうちまで迎えにきてもらい、中原街道を南下すると真っ正面に富士山が見える。考えようによっちゃ絶景だがウツロにしか見えない。しかし、その病院についてみると、そこは明らかに鳥専門ではなく総合動物病院。ネットの情報が混乱していて同じ県内にある別の馬場病院と混同して情報が流れていたのだ(ちなみに、CAP!の情報誌『Companion Bird』のリストにのっている馬場動物病院もその違っている方。正しい方は馬場動物病院 〒227-0047 横浜市青葉区みたけ台28-1 TEL:045-973-0905)。そういえば、昨日のこの病院の電話での台詞は、いわゆる「動物病院」の対応だった。よりにもよってごろうちゃんが弱り切ったこの時に、なぜこんなミスをしてしまったのか。しかし、ここまできてしまったので帰るわけにもいかない。「どういう結果になっても責任はとれませんが」とのありがたい言葉とともに、強制給餌をしてもらうも、案の定吐いてしまった。「吐く」と一口にいうがこれがどれだけ彼の負担になることか。吐いた後はものすごく疲れ果て、吐瀉物が体につくとそれを気にして弱った体で羽繕いをはじめたりするので、見ていられない。何のためにここまできて「死んでも知りませんよ」とか皮肉を言われながら、彼をさらに苦しめてしまったのか。そのうえ、帰りのタクシーをよんでもえんえんとこない。動物病院の中にいるのは不愉快なので、病院の前に篭をだいて座り込む。その間も、なぜ、いい加減なネット情報を信じたのかと、自分たちの馬鹿さ加減に猛烈にはらがたつ。ごろうちゃんは今朝は少しだけパンをかじり、二粒はごはんをひろっていた。このまま休ませていたらもっと治ったかもしれないのに。とりかえしのつかないバカなことをしてしまったと自分を責める。
  帰ってから、ごはんをすすめるがやはり食べてくれない。唯一明るいきざしは、羽根をあげてぜいぜいいったり(発病二日目まで)、口をあけたり(これは発病三日目までやっていた)といった動作がなくなっていること。また、羽繕いをはじめた(昨日はしていなかった)。この馬場動物病院の大チョンボのため、ダンナは自虐におちいってシステムダウン。私は何かせずにはいられなくて、CAP!の電話相談室に電話をして泣き言をいうと、「オカメインコが弱りはじめてから、食べ始めるのははやくて三日・四日、完全になおるまで一週間かかります」と聞いて、すこし落ち着く。しかし、こういう情報のポイントは、治った鳥はそうだろうけど、そうでない鳥はという点である。むろんそんなことは怖くてきけない。この小さな鳥がこの三日間ほとんど何もたべていないのに体がもつわけがない。すると、CAP!の相談室にラフィーバ社のフォーミュラをすすめられたので、取り寄せることとする。明日には着くという(このフォーミュラには本当に助けられた。ありがとうございました。)。
  今日は三日目の夕方だが、やはり食べてくれない。書くのもつらいのだがこの時、ごろうちゃんの目は落ちくぼんでいた。ここにきて人はシステムダウン。ひたすら夜の街を歩き回り、浅間神社、密藏院、東光院などの地蔵尊を拝みまくる。自分が許せないので、自分を哀れむこともできず、何をどうしていいのかもうわからない。八時近くに、もんもんとしながら馬場動物病院の食欲増進剤とグローバルでもらったリンゲルとアワ玉をたべさせようとするが、黄色い薬以外はうまく飲ませることができず、さらにウツ。そのまままた夜の街へ逃げ出し、御嶽山神社の延命地蔵尊に血を吐くような祈りをあげる。午前0時近くにバーミヤンで食事をする。むろん食欲はなし。そういえば、一週間前ここで食事をした時、「わたしたちはここにいるカップルの中でもっとも幸せだよね」とかぬかしていた。自分の馬鹿さ加減にほとほと愛想がつきて、帰ってから食べたものを全部はく。

     御岳山神社の延命地蔵尊(昭和13年7月5日の阪神大水害の折、西宮の夙川のほとりにあったこのお地蔵様の側で数人の女の子が助かった。そのうち一人の女の子の親、前田氏はその恩に感謝してお地蔵様の供養をはじめ、前田氏が東京に移住した際にも、このお地蔵様も一緒に大田区千鳥町に遷座した。前田ハルエ氏がなくなったあと、お地蔵様のお世話を引き継いだ人が近年御嶽山神社にお地蔵様を奉納した。ちなみに、私は今も毎日お礼参りに通っている。)

発病四日目 

 ごろうちゃんが病に倒れてから、毎朝四時前に起きては、ごろうちゃんの声に耳をすませる。声は昨日より少しだけ明るい。ダンナが少しよくなっているのではという。それから八時頃、シードをみると五粒くらいわって食べている。そのうえ、明らかに昨日より表情が明るい。眼はおちくぼんでいないし、すぐに疲れてとまるということもなくなっている。明らかに昨日よりいい。ほとんど食事が胃に入っていないのに、これだけ動きが違うということは、やはり原発の病気は治ってきているのだろう。
  昼ご飯をあげるが、ダンナが顔をかいてあげると、頭がさがってきてぽりっと一口、とかそんなかんじ。昨日に比べればなんども食事を口にしようとするところは明るいが、やはり劇的に食べ始めることはない。
 目黒の 大円寺の釈尊像に泣きを入れて、大黒天のおまもりを買って帰り、その後も、御嶽山の延命地蔵尊におまいりにいく。その道すがら、恐ろしい事実を思い出す。ここのところのパニックで忘れていたが、半月ほど前、区民プラザで一週間後に上演されるモーツァルトのレクイエムに申し込んでいたのだった。これを思い出した時の恐怖は筆舌に尽くしがたい。レクイエムといえば死者に捧げる鎮魂歌。しかも、モーツァルトのレクイエムといえば、モーツァルトの最後の作品で本人の鎮魂歌でもある。モーツァルトは天才であり、彼の作品は天上の音楽と言われる。天上といえば、鳥。なんて縁起悪い。即座に電話をかけてこのチケットの予約を破棄する。「間違いなくリストから名前を消してください」と頼む危ない電話に担当者は、さぞやひいたことであろう。しかし、何の根拠もないが気持ちが少し上向いてきた。ごろうちゃんがこのようになってから、晴雨や月の満ち欠けや近づいてくる母の命日などがとても気になる。少しでも縁起の悪いことは徹底的に廃さなければ。母の命日は動かしようがないけど・・・。

発病五日目 

 今日は一日台風のような天気であり、これだけでもごろうちゃんの体にはこたえるだろう。今日は一週間に二度だけ近所の小鳥の病院にグローパルの先生が来る日なので、一か八かの強制給餌をお願いに行く。すると、さすが小鳥の専門医、原発の病気がなおったせいもあるであろうが、今日の強制給餌は胃におさまってくれた。しかし、先生からこの土・日・月が勝負だったのにその三日間何も食べさせなかったので、こんなに弱ってしまった、これでは持ち直すかどうかわからないといわれ、ショックを受ける。また、延命地蔵尊で土下座をする。
  午後に、今度は横浜のグローバル動物病院の方にいって、もう一度強制給餌をしてもらう。二度目ということと、長時間の移動時間があるということで、また吐かれるのではないかとひやひやしたが、何とかおさまってくれた。二度のカロリー投下でごろうちゃんに少しだけ元気が出てきた。夜は久しぶりに二人でおちついて食事をする。この幸せが永遠に続くといいい。

発病六日目 

 今日は天気が不安定で、午前中は雷がなり雨がふったかと思うと晴れ、今はまた曇り。こんな天気だが、今日のごろうちゃんは羽をふるわせた後もよろめかないし、おしゃべりをする。赤穂も自分から食べだした。しかし、朝一に横浜のグローバルでやってもらった強制給餌は帰ってから吐いてしまった。回復を願うあまりに、少しペースが速すぎたかもしれない。 午後三時、キャベツの千切りをちみちみと、サラダ菜をちみちみ、赤穂をちみちみ自分で食べてくれる。キャベツの整腸作用で食欲がもりかえすことを期待。休ませようと部屋をでようとすると、追い鳴きをしてくれる。ちょっとずつ良くなっている。
  夕方自分で食べたごはんを吐いてしまったので、先生と相談して午後の強制給餌はやめて胃を休めることとした。リンゲルをあげて、胃を整えることにする。前向きに考えれば自分で食べ始めたことは明るい点であるが、吐いてしまうということは、胃が弱っている証拠である。まだまだである。

発病七日目 

 朝、六時十分から朝鳴きをはじめた。昨日より元気そうなのだが、相変わらずごはんはほとんど食べていない。昨日より二グラム体重が下がる。やはり彼が自分で食べる量ではまにあわなかったのだ。八時の電車で横浜に強制給餌にいく。しかし、帰ってくるなり、でろーっと吐いてしまった。でも、昨日より吐いた量が少ないので、三分の二は胃に収まったと思う。ダンナがセキセイの籠を放した方が静かになって休めるのではないかというが、わたしはセキセイにつられてごはんを食べたり気分が明るくなったり、寝たりもするのだから、籠は近い方がいいような気もする。しかし、疲れるかもしれないと言われれば心配となる。メリットとデメリット、ごろうちゃんが悪くなってから毎日一つ一つのささいな選択で揺れに揺れる。ここで選択を誤ったら・・・と毎日が不安。
  夕方に、敷き紙上に強制給餌のフォーミュラとキャベツがまじつた吐瀉物がちみっとと、少しの粟粒をやはり吐いているのを見つける。しかし、昨日より食欲はあるので吐くよりも入るものの方が多くなっていると思う、いや思いたい。昨日より格段に元気がてて、籠からでたがって、呼び鳴きをするので、とても困る。そのエネルギーを消化にまわしてほしい。体重が下げ止まるまではいくら元気でも安心できない。五時頃、ごろうちゃんのフンチに一週間ぶりに身があることのに気付く。まだまだ緑色だがとても嬉しい。今日は母の命日だが、施主である私は法事を欠席。叔父に代参にいってもらった。ごめん、ママ。

発病八日目 
 発病から今日でちょうど一週間。今日は五時四十五分に第一声があり、六時五十分に籠をのぞくと、フンチに少しミが出てきている。まだまだ食べている量は少ないが、シードをたべ、そのうえ吐いた後もない。一安心である。気分を変えるために、これまで着ていた服とかタオルとかを大々的に洗う。昨日、一昨日と多かれ少なかれ強制給餌は吐いてしまっているので、今朝は少し食べてフンチに身がでてきたこともあり、強制給餌にいくのやめてみよーかなーという雰囲気が二人の間でただよう。そこで、思い切って、元気な頃と同じルーティンをやって、食欲を復活させるという計画をたてる。いつもは、みんなで食卓につきごはんをたべてから、秘密基地で寝、その中で赤穂を食べる。そのようにしてみると、シードをちみっと、ブロッコリーをちみっと、赤穂をちみっとと食べた。いつもなら、パソコンをつけてテレビをつけてゆっくりすると秘密基地で寝てしまうのに、今日は同じようにしても久しぶりの秘密基地がうれしいのか、赤穂をたべたりカナリヤシードを食べたりしながら出たり入ったりして、なかなかねない。疲れないといいのだが、でもまあ、横浜いくよりは疲れないだろう。これで吐かなければ体重もアップしていくはず。がんばれ、ごろうちゃん。消化するのだ。
  そして八時に上につれていって寝かせ、わたしはのびのびになった案件を片づけようとでかける。しかし、出先から電話をすると、ダンナが、ごろうちやんは午後あまりごはんを食べず、あまつさえ夕方に熱をだしたというのだ。しかし、その熱は前と違って五分くらいで下がり、そのあとは普通に戻ったそうだ。しかし、不安になったためまたまた二度キャンセルした図書館行きをまたキャンセルして家に帰る。二人で夜の延命地蔵尊にお参りする。しかし、よく考えてみたら、私も子どもの頃、熱が下がったすぐあとに遊びに出て夕方になって熱をだしたことがあった。普通の生活にもどすにはまだ早すぎたのだと気付く。明日はごはんを食べさせたらすぐに休ませよう。

発病九日目 

 今日から月が変わる。なので何もかもが好転すると思いたい。朝五時半に第一声があり、七時十分にはぴよぴよいったので出してごはんをあげると、カナリヤシードを三十粒、これまでみたことのない機関銃のような早さで食べ、ブロッコリーもちみちみ、サラダ菜もちみちみたべ、身のこなしもきびきびしてきた。昨日より明らかによくなっている。あとはごはんを食べさせ疲れさせずに寝かすことだ。今日はセキセイはガラスごしのところにいるから、ごろうちゃんは寂しくもなく、かつ落ち着いて静かに眠れるだろう。
 グローバル動物病院に支払いにいくと「フンチが緑色でなくなるまで気を付けて。あとあなたたちは鳥にいれこみすぎ。神経質になりすぎないように」と言われる。昨日16才のオカメインコのママからも同じことを言われた。けどね、こんな小さな鳥が小さなからだで苦しんでいるのに、そしてこっちは何もできないのに、平常心でいられる精神力は私にはないっつの。
  昨日の撤を踏まないように、お昼は十五分くらいで終わらせ、夕方も同じくらいの時間しか外にださず、速攻で篭に戻す。今日は夕方に熱はでなかった。夕方ごろうちゃんは「ごろうちゃん千本ノック」をして、カナリヤシードを連続して四十粒食べ、随分消化能力が戻っているカンジ。昨日篭から出したのは四時半で今日は五時だから遅い分、少しは落ち着いてきているかも。大丈夫。治ってきている。

発病十日目 

 今朝は気温も低く寒いというのに、ごろうちゃんは快晴の日のように騒いでいる。七時前にだしてささっとごはんを食べさせてお掃除をして篭にお戻しする。しかし、その間、飛ぶし(でも羽音が軽くて胸にささる)鳴き続ける・・・・。十時頃「きょっ」と楽しそうな声をだして篭から出てきたのでフンチをさせると多少軟らかいが昔とほぼ同じ。そのままだまして二階につれていって休ませる。お昼ご飯のあと、御嶽山、密藏院、東光院、浅間神社にお礼参りにいく。ありがとうございました。

発病十一日目

 ものすごく天気が悪い。七時十分にごろうちゃんを出す。フンチは随分普通になってきたが、篭の中では朝ご飯をあまり食べていない。しかし、翼はご機嫌の時のしまり方なのでおそらくは気分は問題ないだろう。カナリヤシードを71粒、ザクセンの無添加食パンと無塩カシューナッツを召し上がって昨日と同じく秘密基地でお休み頂く。しかし、八時半に悪い夢をみたのか秘密基地から暴れてでてきてしまい、そのあと寝てくれない。そこで篭にいれようとすると、今度は追い鳴きする。こまったもんだ。
  九時十分にカナリヤシードを91粒、赤穂をプチプチ。それからうつらうつら寝る。お昼にはダッタンそばを一本全部と107粒カナリヤシードを食べる。夕方は一人で食べるかどうかをみるためにださないこととし、九時にはじめてみたら、ごはんはそこそこ赤穂とシードごはんをたべていた。

発病十二日目 
 一晩中雨嵐の上一日中強風が続く。ごろうちゃんは元気。あさ七時十分におき、カナリヤシードを107粒たべ、ザクセンを食べ、ひとしきり遊んで秘密基地へ。十時頃また二階にあげて、一時頃再びおでましいただき、ごはんとカナリヤシードを食べてもらい、再びお休み頂く。四時半に出してみると何とおなかが水で濡れている。水浴びをしたらしい。病中の体が気持ち悪かったのだろう。寝る前には秘密基地の中から「ぴよぴよぷるるる」と元気に遊ぶ声がする。追い鳴きをあまりしないこと以外は、もうほとんど元気な頃と同じになった。結婚記念日なので渋谷の天一でてんぷらを食べる。普段はコース料理にいくのだが、二人とも食欲がなくてとても行く気にならない。


この後、ごろうちゃんは病中から回復期に食べていたラフィーバ社のフォーミュラのために106グラムにもなり、病中の羽音は「ぱぱぱぱぱ」だったのが、「ばばばばば」になり、今は「どどどどど」にまで回復した。回復した今は、そのフォーミュラを同社のペレットに切り替えた。また、病中はまったくでなかった脂粉が発病二週間目くらいから再びでるようになった。

 今はもうすっかり前と同じである。

  あの地獄の日々、時間は恐ろしいまでに流れるのが遅く、風景はモノトーンに見え、なのに、心の痛み・苦しみは鮮やであった。一方、ごろうちゃんが治ってからは時間の流れる早さは普通になり、風景も総天然色に戻った。あの時期だけ、まるで別の空間にいたように感じられる。最近になってやっとこの日々を客観的に見ることができるようになったので、病気のオカメインコを抱えて不安な人のために少しは役に立つかと思い、この恥の記録を公開することとした。

(文中でザクセンの食パンをあげていることを気にする人もいるだろうが、これは自然食品の店で売っている無塩のものであるし、この時は何でも食べるなら食べさせた方がいいとアドヴァイスされていたこともある。この点をあまり責めないでね)


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