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「るりお姉さんを送る記」

*このページはごろうの姉るり(猫18才)が、2004年1月9日に他界するまでの最後の日々を母の視点から綴ったものです。


十一月二十六日 水
夜十一時頃、るりに何かの発作が起きた。右目が突然開かなくなり、瞳孔が収縮しっぱなしで、呼びかけにもうつらうつらしてにぶい反応しか示さない。思えば、この変調は今年の五月くらいから始まっていた。この頃から、散歩をいやがるようになっていたし、換毛期にもあまり抜け毛がなかったし、何よりこのに三ヶ月どんなお食事をだしても「これはいらない」と偏食がひどくなっていた(若い頃は本当に何でも食べたのに)。るりは1986年生まれだから、今年で17才である。いつきてもおかしくないとはいえ動揺する。

十一月二十七日 木
今朝のるりは昨日よりもっとわるい。ごろびろいわないし、呼んでも耳も動かさない。仕事から帰ってくるまでもたないかもしれない。そのうえこういう日に限って寒い。電気毛布だけで体が持つだろうか。夫が今日は授業がないので早く帰れるというので、帰り次第、病院につれていってもらうこととする。気もそぞろに三時間の授業を終えて、タクシーにのって高田馬場までいく。今日は本当に寒い。こんなにさむかったらそれだけでも死ぬのではないかと心配。家に帰ったら、ダンナが帰った形跡があるもるりはいない。そこで、病院に行くと暗い顔をした夫が待合室におり、るりは今レントゲンを撮っているところだという。そして、呼ばれて診察室に入ると、るりが弱々しくあおーん、あおーんと鳴いている。レントゲンの結果、どこもきれいなもので、血液検査も今分かる範囲内では大丈夫とのこと。とりあえず、輸液をして、さらに詳しい検査を行ってもらうこととする。帰ってから二人でなでまわして、るりのごきげんをとる。

十一月二十八日 金
るりの具合は少しは昨日よりよくなっているように見えるが、トイレにもいかないし、ごはんもたべていない。

十一月二十九日 土
夫がるりを病院につれていく。すると、増川先生は尿の培養をしてくれて、輸液をたくさんいれてくれた。そして触診をして腎盂炎の可能性を指摘される。抗生物質を処方され、とにかく食べさせろと指示される。塩辛かろうがなんだろうがとにかくいまは食べてくれるものを食べさせ、猫はとくに臭いに敏感なのでにおいの強いものを食べさせて、食欲を出させろとのこと。るりは少しはにゃあにゃあいうようになってきた。復活の兆しか。

十一月三十日 日
るりは昨日の晩ひとりで寝台の上に上がれたようだ。しかし、今朝は私の顔をみて「あげてくれ」と頼むので、昼間は手伝ってあげる。前回口内炎で危なかった時、ツナ缶を食べて食欲が復活したので、ツナ缶にいわしの甘煮のおつゆを加えて食べさせる。すると寝台の上で食べ出した。なんでもいいから食べてくれ。

十二月一日 
昨日の晩はご飯をすこし食べてくれた。前のようにわがままも言い始めたし鳴き声にもはりがでてきた。しかし、右目はあいかわらずひっくりかえっている。固形ご飯も少し口にする。

十二月三日
七時近くに自転車でるりを病院につれていく。腎臓の痛みはなくなっているようだが、体重が増えていないのが心配だという。たしかにご飯はあまりすすまない。

十二月六日
スモークサーモンをはじめてあげてみると一枚を全部食べてくれた。塩がきついけど、この際だから無視。

十二月八日 月
午前中るりの具合が全体によくない。暗い。息が苦しそう。二時頃にやっと寝台からおりてきて食事をちょびっと食べる。

十二月十二日 金
るりを病院につれていったら、風邪をひいているとのことで、インターフェロンの点鼻薬と抗生物質をいただく。待ち合わせの本屋にいくと、待てど暮らせど夫はこない。ケータイに電話をすると、「るりにお薬をあげたら吐いて、そのあと一時間もかえってこなくて、死に場所をもとめでていったのかと今まで探し回っていたという。何とか帰ってきてもらうため、アジを焼いてみたら、匂いにつられて帰ってきてくれたが、すごく弱ってきている。もう治療をされたくないのかもしれない。」という。

十二月十三日 土
夫がるりをお医者につれていく。前の抗生物質は吐かれてしまったので、あたらしい抗生物質を様子見にいただき、輸液をしてもらった。前にはなかった輸液がもれる現象がはじまり、暗い気持ちになる。

十二月十四日 日
夫がるりを病院につれていく。病院に行くたびに鼻血をだすのでいたいたしい。輸液と吐き気止めの注射をしてもらうが、やはり帰ってもごはんを食べてくれない。鼻がすこすこいうのも同じ。これは明らかに、末期癌の母の時と同じである。もうだめだ。しかし、夫は人工的にでも何でもるりを生かそうと必死である。いつか来た道。

十二月十五日 月
午後七時にるりを病院につれていくかどうか迷うが、るりに嫌われそうだから、やめることとする。七時半にアジの半身を全部食べてくれ、そのあと紅鮭の半身もあまり口に入っていないが、長いこと食べ続けていた。つまり意欲が少しは復活しているのか。輸液が体に入っているうちには食欲がわかなかったのだろうか。

十二月十六日 火
るりは自分で寝台の上にのぼるようになり、呼びかけにも一応反応するようになった。相変わらず、鼻はピスピスいっているし、目も茶色いが。あと、古いアジをやいてほぐすが、たべない。新しい半身の鮭もほとんど鼻つけただけ。帰るとるりの姿が見えないので、外にいるのかと思うといずこからともなく現れる。薬をあげて、目薬をさし、アジの半身と鮭を少し食べる。そのあと見ていると、寝袋に人間のように潜っていった。自分で寒さを調節しているのだな。

十二月十七日 水
るりをつれて病院にいき、インターフェロンをうってもらい、抗生物質をもらう。鼻のピスピスは随分よくなっているが、食餌は鮭を夜に少したべただけ。

十二月十九日 金
るりは自分で寝台の上に上がるなどの元気はあるが、あまりごはんを食べず、夜食べたごはんを台の上で戻した。目はほとんど充血がとれ、鼻のピスピスも随分ましになっているのに。

十二月二十五日 木
るりの具合が悪い。食餌をしたあとにあおーん、あおーんと苦しそうに鳴く。昨日の晩も食事に手をつけた形跡がない。

十二月二十六日 金
るりがうつらうつらするようになる。もうほとんどまだらにしか反応がない。猫ミルクを少しのんでは、ひたすら寝続ける日々。老衰というのは眠るように訪れるというが、とにかく名前をよんでやさしくなでて、幸せに安らかに逝けるようにそれだけを考える。

十二月二十七日 土
るりはうつらうつらしてもう朝私がきてもおきてもこない。そろそろのような気がする。夫が「治療治療」と言わなくなったのがかえってこたえる。彼も覚悟をきめてきたのだ。しかし、覚悟していたとはいえやはりつらいものがある。昼頃ミルクを少し飲んでくれたが、四口のんでは首が落ちる状態で、もうほとんど動かない。なでてもごろごろいわない。夫は「るりはもう死ぬことを決めたんだ。食餌をしないことにしたんだ」と暗いことをいう。正確にはできないんだと思うがやはり泣ける。買い物から帰る時、家に帰る脚が重いのに気がつく。夜、るりはうつらうつらしながらわたしたちをじっとみている。

十二月二十八日 日
予定をキャンセルしてるりをみる。朝八時頃少しだけ猫ミルクを飲んでくれた。しかし、昨日はいったおトイレを今日はいかない。昨日頻繁にやった体勢変えも今日はほとんどしない。明らかにゆっくりときたるべき方向へ向かっている。

十二月二十九日 月
信じられないことに今朝、外にでてトイレにいった形跡があった。起き抜けに少しミルクをのみ、本日は四口ずつ四回くらいのんでくれる。昨日とちがって寝袋からはいだして少し移動する。この後に及んで少しよくなったりするところも母の時と同じ。しかし、撫でてもごろごろいわないし、ベンチの下にこもるようになり、人といるのがあまり楽しくなさそう。二十六日より少し前より目やにがねばつくようになっていたが、もう目が目やにでくっついて開かない状態。猫トイレをつくってトイレにでたまま行き倒れないようにする。

十二月三十日 火
朝外に出た形跡も、トイレにいった風もない。しかし、朝一にミルクを飲んでくれ、そのあとベンチの下にもぐりこむ。アーク動物病院に電話をかけて今までの報告すると、流動食を食べさせてはどうかとのこと。流動食は試供品とやらで注射器までつけて無料でわけてくださった。申し訳ない。夫はなんとかこれでるりに流動食を飲ますことに成功する。

十二月三十一日
今朝から二時間から三時間おきに、注射器で流動食をあげる。明日から西小山のペットカントリーが長い休みに入るので、ミルクを買いがてら自転車ででかける。そして午後七時ちょっとまえ、二人でレンジや台所の掃除をしていたら、驚いたことにるりがむりやりトイレに外にでようとした。夫は大騒ぎをしてとめようとしたが、わたしは「彼女の意思だ、行かせてやれ。わたしがついていく」と裸足で彼女をおって庭にでる。あの体力ならついていって、終わった後連れ戻すこともできるだろう。結局おわったらへたりこんで動けなくなったので、つれてかえる。もう触られるのもいやだろう。とうとう大晦日。よくもったよ。るり。十一時頃、るりが再び立ち上がり、水を飲み、さらに外にでてたぶんおしっこをした。これは夫が毎日お風呂の後にるりのためについでいる飲み水で、「僕は諦めていないよ」という水であった。これを飲んだるりは、夫ーに最期の親孝行をしたのだろうか。それからよろよろとベンチの下にもぐっていった。

一月一日 木
るりは朝一のミルクはたってのみはじめた。どん底の時はくびだけうごかしてすわったまま飲んでいたから、少しは具合がいいことになる。流動食が少しはスタミナをつけたのか。三時過ぎにアーク動物病院に増川先生にご報告にいく。いろいろなアドヴァイスを頂戴し、最後に「こんなことはいってはらないのですが、最期は息が少し苦しそうにするかもしれません」と声をつまらせて涙ぐんでくれた。ビジネスでつきあっている、他人の猫のために涙を流してくれるなんて、わたしはそっちの方に泣けてきた。

一月二日 金
るりは反応は多少いいが顔がげっそりしてきて、彼女が若い頃になくなった母猫そっくりになってきた。たぶん食べることにより反応するだけのエネルギーは多少もどったが、根本的な死への流れは不可逆的に彼女の身体機能を低下させているのだろう。昨日いただいたちょっと太めのスポイトで朝一回、昼一回、夜一回、寝る前に一回るりに流動食を飲ませる。

一月三日 土
るりか鳴いたような気がしたので下におりてみると、大量のお小水を布団の上でしており、そのため後ろ足もぐっしょりで、それを電気毛布から座布団にいたるまでまんべんなくこぼしていた。朝はその始末に追われる。しかし、まだウンチもたまっているはず。これもふりまかれたら・・・・。朝・昼・晩・寝る前に流動食をあげている。このような状態なのに、水を飲むときはちゃんとたって飲んでいるのが不思議。

一月四日 日
朝、るりはベンチの下でねそべっている。今はベンチの下にいることの方が多いので、その下に電気毛布をひいている。今日は具合が悪い。おしっこもウンチもたまっているからだろう。夕方思いあまって、タイ旅行でかった高いタイ布地を担架にしてるりを運んで、外の土の上におくが、トイレをしてくれない。ただへたりこむ。そこでもうだめかと思ったら、午後十時四十五分頃、突然歩き出して、やはり自分の足でいくと言い張った。体に負担がかかるが、彼女の意思を尊重して歩かせる。するとどんどん隣の家に入っていく。一度はウチの庭に戻したが、やはりどうしても隣の家にいくという。そこで行かせることとすると、戻ってこない。懐中電灯で探し回って、となりのBMWの下から効いたこともない悲しいるりの鳴き声がする。この声を聞くと、るりは、家にかえりたくなくて、口に食事をつっこまれたくなくて、死に場所をもとめていったのかとも思う。るりの姉やすも死に際にあっちの方へ歩いていった。夫は「もうごはんを無理に食べさせることもしないし、ウチの中でウンチをしてもいいから、ウチからだしてはいけないんだ」という。人間は具合が悪くなると医者や病院に依存するが、猫はすべてをたちきって去っていく。かっこいい。飼い主はダメダメ妄執だが。二人の間で、もう夜の強制給餌はやめよう、という無言の同意が生まれる。

一月五日
今朝は水を少し飲むが、昨日の晩くらいから、水を飲む舌が水面につかない。容器を持ち上げても同じ。右目右の鼻とつまって右の唇がたれさがってきているので、うまく舌が動かせないのかも知れない。昨日の朝は水を飲んだ形跡もあったし、朝一のミルクものんでくれたので、今朝の方が数段悪いわけだ。夫は昨日の行動も水を飲むような動作もぼけて夢の中にいるような状態でやっているのではないかという。夫は、こんなになっても、るりの仕草がかわいいという。昨日外にでたのも、死に場所を求めてではなく、元気だった頃、あの時間にお散歩にいっていたのを思い出したからではないかという。それに、布団にもぐりこむさまも可愛いし、毛布をめくるとにゃっというのも、かわいいという。たしかに、すごい老猫なのに老醜という程の老醜はない。ちなみに、昨日の晩からもう流動食をいれるのをやめている。それは、昨日の夕方ミルクを苦しそうに吐いたのと、昨日の夜の逃避行が口に流動食をねじこまれるのがいやだからなのかと思ったから。しかし、午後十一時十五分くらいに、るりはベンチの下からわたしたちの方へ歩いてきたので、夫が膝にあげるとそんなにいやそうな顔をしなかったので、ひょっとすると昨日の晩から食事をしていないので、ごはんをねだりにきたのかもしれないと思い、急遽流動食をあげる。一応胃に落ち着いたようだ。しばらく膝の上で撫でてあげると、嬉しそうな顔をしたのでこちらも嬉しくなる。死ぬ間際まで仕事(人間をいやすこと)をするのだから、猫はすごい。

一月六日
七時に下におりてきたら、るりが起き出してきて、風呂場の水場にいって、水場の前でへたりこむ。そして、それを繰り返す。どうも、衰弱がきわまって元気な頃にやっていた生活パターンをよれよれの体で無意識にたどっているかのように見える。十時までに二回外にでて、二回風呂場の水場にいった。人間の側がいやだから外に出ようと徘徊するのかと、勝手口の前に薄暗い死に場所をつくってみたが、どういうわけか、そこは気に入らないと階段の下まで歩いたので、今度は二階の私の部屋に座布団をしいてみると、そこでは落ち着いて午後三時までそこにいてくれる。途中自分で水を飲み、三時頃少なめの流動食をあげると、また外にでたがる。おしっこ場につれていったら、瓶のふちにあしをかけようととするので、水がほしいのかと水をあげるも飲まず、そのままふらふらと門の方へいきでていこうとするので、門を閉める。ところが木戸の下からくぐって道路にでようとするので、それをとめて、しばらくそこにいさせて、そのあと、門の中までつれてきて、座布団をコンクリの上においたら今度は自分からのってきた。この座布団は最近るりの担架がわりにつかっているもので、これに乗るということは運んでくれという意思表示である。夫はこれを見て、るりはぜんぜんぼけていないのではないかという。しばらく二階の窓際の座布団の上にいて、しばらくしていってみたら、私のベッドの上にのっていた。そして、九時頃流動食をのませたら、ぜんぜん反応がなく、何か危い感じがする。どうも胃腸が動いていなかったらしく、しばらくしていってみたら、おしっこともウンチともつかない黄色い液体をじゅうたんにこぼしていた。今日は満月で干潮は午後十一時半。干潮の時に人はよく死ぬ。

一月七日
明け方四時半くらいにばたんという音で目を覚まして下に降りると、勝手口の前にるりが倒れている。それから、二階につれてあがり、座布団担架の上にのせていつものお散歩のルートを歩いてみる。すると新しくたった家の前できょろきょろ見回しており、これを見ると明らかにぼけていない。それからも、るりは表にでたり、どこかにいきたそうにして、どこにそのような力が残っているのかというくらいうろうろする。メイン電源がきれたあとで補助電池がはいったかのようでとても不思議。一日中二人でどこかに行きたいというるりを座布団の上にのせて、庭や近所をうろうろする。あまりにも寝不足なので風邪薬を飲んで寝る。

一月八日
朝起きたら大量のお小水の中にるりがねていた。下半身がぐつしょり濡れているので、お湯でおなかと足をあらい、布団も干さなければならないので、その間るりが寒くなるのが心配。しかも、今日は二人とも仕事ででなければならない。よりによってこの冬一番の冷え込みである。とにかく、ガスストーブの前におつれして体をかわかしてもらう。急いで帰ると、るりは「寂しかった」とよろよろしながらたって出迎えてくれ、さらに「ごはんがほしい」とかなりしっかりした目で訴えかける。私が帰ってから一回だけ外への徘徊を所望したが、そのあとはおおむね静かに寝ていてくれる。来週からは夫が本格的に京都に戻るので、もしもの時は一人でどうしたらいいのか、不安になる。

一月九日
るりは今朝も布団の上でお小水をこぼしている。そのあとは、今日は朝一の徘徊もなく静かにヒーターの前でねそべっている。不思議なもので今のぐったり寝ている方が徘徊していた頃よりも知的にみえる。「いよいよか」。仕事途中で家に電話をすると、少量の下痢フンチをテレビの側でした以外はすぐには大丈夫だという。私が家に帰りつくと、外に出たいというので、座布団にのせてお散歩ルートを一周する。あたりをみまわしている。そのあとも歩きたいというので今度は夫がついて庭にでると、おしっこをしたという。そのあと、すごく悪くなり、呼吸にふーん、ふーんという音がまじりだす。母の時もそうだったが、呼吸が荒くなるともう死は間近い。今日の干潮は零時二十六分なので、そのあたりが山か。十一時くらいにるりは寝袋の上をはってきて、私の方へよってきた。しばらく、座布団にのせてなで続ける。るりの顔の上に自分のこぼす涙がぽたぽた落ちていく。しばらくして膝が疲れたので、おろすと夫がかわってるりをなで続ける。すると、十分もたつと、十一時二十五分くらいに三十秒くらい苦しそうな発作を起こし倒れ、その後下顎呼吸となった。その状態は十五分くらい続き、四十分に最後の息が腹腔からでてるりは逝った。

一月十日
お世話になった獣医さんをはじめとする方に、るりの死を報告する。お葬式について夫婦で話し合って、ネットで見つけたペットの葬儀屋さんにお願いすることとする。電話すると明日の三時から四時までの間に迎えにきてくれるとのことで、それまでるりの遺体は、仏壇の前に座布団と毛布をしき、安置することとする。その姿はまったく眠っているようで、死んだという実感がわかない。明日にはこの体は天に帰すので、形見として足の石膏型でもとっておこうということになり、渋谷の東急ハンズにいって、コピックと石膏を買い込む。その間も、涙腺がいかれたのか、泣けてきて泣けてきて仕方ない。とにかく、少しでも考えると泣けてくるので別のことを考えようとするのだが、何を考えても思考は同じところ、すなわちるりにいきつく。ドンキを見ただけで「もうここに猫の餌を買いに来ることはないな」、とか。これでは鬱病である。いかん。

一月十一日
午前中は午後のお葬式に備えて買い物をし、午後三時に、ごろうちゃんに最後のお別れをさせて、二人とも喪服をきて、ペット葬儀屋さんが迎えに来るのをまつ。午後三時半頃、ワゴン車がつき、るりを座布団に毛布をのせてタオルをかけた姿で膝の上にのせて、江戸川区にある黄檗宗のお寺に向かう。夫の膝の上にいるるりは眠っているようなので、二人で頭や鼻筋をなで続ける。もうすぐこの体もなくなってしまうのかと思うと泣けて仕方ない。寺の境内にある火葬炉は人間のものと形は同じであるが、ペット仕様に何もかもが少しずつ小さくできている。火葬台にるりをそっとねかせバスタオルをきせかけ、もってきた白と黄の菊の花でうめ、枕元には、アジ、スモークサーモン、ウオルサムの流動食、サイエンスダイエットのつめあわせのお弁当をそなえ、焼香の後、炉に入れる。泣ける。四十分ほどして呼ばれていくと、とるりは白いきれいなお骨にかわっていた。夫と二人で人間と同様の仕方でおこつをあげた。骨壺とともに首都高を湾岸でとばして家に帰ると(送迎つき)、六時半であった。不思議なもので火葬炉に入れるまではたまらなかったのが、お骨になってしまうと随分気持ちが落ち着いてきた。仏教の伝来とともに日本に渡来した火葬はやはり、執着をたちきる独特なパワーがあるのかもしれない。
 最後に、葬儀屋さんからうかがった話。今まで一番長生きした例は、29才の猫で、その子どもも24才と25才まで生きたそう。犬は長くて15才だけど、はやりの犬種は無理なブリーディングの結果か非常に寿命が短いという。犬猫ともに雑種は長命で、純血種は短命であるという。そして、一番驚いたのは、この寺が毎月18日に行うペットの合同供養の日には、平日で60人、休日で150人からの人々が供養に集まるということ。社会的な体裁やしがらみがないペットの法事は、参加者は百%自由意思で参加する。それでこの人数が集まるのだから、人々がいかにペットの死を悼んでいるかがよくわかる。これがかりに人間の先祖供養の行事であったら、これだけの人数が集まるであろうか。絶対に集まらないだろう。
 人が増えすぎた社会で、人はもう人の存在にうんざりしていて、人間以外の何かと暮らすことを求める時代となっているのかもしれない。


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