[マスコットキャラごろうちゃん | 前のページ | 次のページ]

一周忌のメッセージ


 昨年(2017年)6月6日にごろう様が逝ってしまったため、私の誕生日はごろう様の命日となった。
去年なくなったごろう様を手にして呆然としていた時に、FBが「おめでとう」メッセージを次々伝えてきた時には正直複雑な気持ちになったため、今年は事前にプロフィールから誕生日情報を削って静かに一周忌を迎えようとした。しかし、朝からフツーにおめでとうメッセージが入ってくる(笑)。ザッカーバーグにわたした個人情報は永遠に消えない

 しかし、おめでとうメッセージに含まれるポジティブパワーは私の中に一年前とはちがう柔らかな気持ちを生み出してくれる。また、ゼミ生たち(Wくん、Rちゃん、E子ちゃん)もあくび母さんからも誕生日を外して小鳥グッズのプレゼントをいただくにつれ、周囲に気を遣わせてしまっているダメ人間な気がしてきた。みなさん、ごめんなさい、そしてありがとうございました。

 以下のお話は、そんな命日と誕生日が重なった日におきた不思議な出来事である。

 この日、一年前ごろう様(初代)が私の手の中で動かなくなった11時45分、私はグヒヤサマージャの生起法を唱え始めた。それが終盤にさしかかった正午を少しすぎた時、荷物が届いた。見ると差出人は見知らぬ方で最近誰の葬儀にも参加していないのに不祝儀の紙包みである。覚えがないが宛名には私の名前が書かれている。しばらく考えるうちに思い出した。この方はFNさんのお兄さんだ。

 この頁をご覧戴いている方ならご存じかと思うが、丁度一年前の私の誕生日、FNさんは五年ぶりにFBのメッセンジャーで連絡をとってこられ、末期癌に苦しんでいる旨を伝え、私がその返事を書いている最中に初代ごろう様は急死したのである。FNさんはダライラマ法王の誕生パーティの開かれた7月8日の晩に亡くなり、彼女のお葬式が行われた7月19日に私は行きの電車の乗換駅のホームから二代目の所在をみつけたのである。つまり、FNさんの死は初代と二代目を結びつける位置にあった。

 包みをあけてみると、やはりFNさんの一周忌のお供物であった。FNさんの命日は一ヶ月先だし、私は一周忌法要に参加してもいない。それがはかったように初代がなくなって丁度一年後の時間に届いたこと、ここまで重なるのは偶然ではない。私にだけわかるように発せられたメッセージである。私は霊感もスピリチュアル能力もゼロなので正確にこれの意味するところはわからないが、初代と二代目はとにかく強い絆で結ばれていることは伝わってくる。とにかく彼を大切にしようと思った。

 平日のど昼間であったがこの現象に理解を示してくれそうな方たちに電話する(さぞや迷惑であったろう笑)。後で発信履歴みたら、ゼミ生Wくん、平岡先生、あくび母さん、奇しくも一年前のその日に連絡をとった数少ないひとたちであった(あまりにもショックで49日までは初代の死は伏せていたため、当日のことを知っているのはごくわずかな方たち)。

 翌日大学にいくと、メールボックスにネット繋がりのMさんからの一周忌のお供物が入っていた。お供物はV.S.O.Pうなぎパイ(笑)。初代が金の箱を好きだったことを覚えていてくださり、金の箱にはいったうなぎパイをおくっくださったのだ。Mさんも昨年21才のノーマルオカメインコの女子、メイちゃんをなくして深い喪失感を抱えていらっしゃったものの、死後半年で新しい子をお迎えして何とか心の整理をつけられているところであつた。

 ここで去年、死を前にして落ち込むFNさんに私がおくったメッセージを思い出した。幼いわが子を亡くした母親が、お釈迦様にとりすがってこの子を治す薬をくださいといった。お釈迦様は「よかろう、それでは今まで一度も死者の出たことのない家からカラシ種をもらってきなさい」とおっしゃったので、母親は子供の亡骸を抱えて、村の家を一軒一軒訪ねたものの、死者を出していない家は一戸もなかった。お釈迦様は「死は必ずやってくるものだ、この悲嘆はあなただけのものではない。」ということを教えたのである。
 自分も同じ境遇の方の言葉によって慰められている。
 お釈迦様の教えはフォーエバー


[マスコットキャラごろうちゃん | 前のページ | 次のページ]