05年コミックシティ・レポート

「絶好調! オカメインコ教 の巻

(2005年5月3日 in 東京ビックサイト)


 今年のスーパーコミックシティは五月の三日と四日であったのだが、まりりんのスペースがでる三日には所用ができてしまい、行くことができなくなった。大概のことならまりりん優先であるが、今回はちょっとまずい。なぜなら、チベット密教の奥義を伝えるギュメ学堂の前僧院長が大阪にこられてグフヤサマージャの灌頂を行ったのである(五月二日から三日)。この千載一遇のチャンスを見逃す、チベット・オタクはいない。というか、これをスルーすると仏罰でごろうちゃん(我が家のオカメインコ♂八才)に何かありそうで怖い。

 というわけで、イシハマは後ろ髪ひかれつつも、大阪へ向かった。一日目の灌頂が終わったあと、宿泊先の都ホテルに戻って荷物を置くと、晩ご飯を食べる場所を探した。儀式の間は肉や魚などを用いた料理は避けねばならというが、そうなると冷や奴かきつねうどんくらいしか思いつかない(うどんといえどもダシには鰹の粉とかはいってそだが)。しかし、夜も深まったホテルの周辺は飲み屋ばかりで、うどんやがみつからない。うろうろと大通り沿いをさまよっていると、おされなガラス店があった(確かKURIYAMA GLASSとかいったような)。深夜なので店本体は当然しまっていたが、ショーウインドーには色鮮やかなガラス細工が並んでいる。こういう時に私の目は自然とオカメインコを探している。すると、

あったのだ。

カエルやその他もろもろの動物の中でオカメインコが二羽脚をふんばってすっくとたっていたのである。明日、店が開いたら即買いに来ることを決意する。

  

翌日、灌頂は午後遅くまでかかり、急いでガラス店に行くと店の戸が開かない。店の中に電話中の店員が見えるので、ゼスチュアで「開けてくれ」いうと、店員もゼスチュアで右を指すので、右の戸が開いているのかと思いつつ右にまわってみるもドアがない。再び店の正面にもどってゼスチュアで「開いてない」というと、店員受話器の口をふさいで、でてきてくれて「今日は閉店です」と彼女の指す方向をみると、そこにはCLOSEの文字が・・・。コレを指さしていたのかよ。店に人がいれば誰だって開店中と思うがな。私しつこく食い下がり「このオカメインコが欲しいんですが」とショーウインドーの中にいるオカメインコを指さすと、店員諦めて、電話をきって、店にいれてくれた。聞けばこのお店はステンドグラス教室が本業のようであり、このオカメインコは台湾製だという。そこにいたオカメインコ二羽とも買取り、お礼をいって店をでる。しかし、なじみのない大阪の街でたまたまみつけたガラス屋にオカメインコがおり、しかも休業日なのにたまたまお店に人がいた時にいあわせるなんて、幸運としかいいようがない。

これもまたオカメインコの神のお導きであろう。

というわけで、スーコミにいけない日でも、オカメインコ教にのっとった正しい生活をしていることをアピールしたかったわけ。

今回のまりりんの新刊は『花の王様』。まりりんが花かごを飾ろうとしたら、まり怒り、「花でなくまりを愛でればいいじゃない」とおっしゃられたものの、「グリーンはそこそこ好き」というエピソードがタイトルの由来である。これにちなんで、今回のまりりん本は桜のトーンが背景に多用されている。

 この「花でなくまりを愛でればいいじゃない」という台詞をみてひらめくものが。銀座のおされなOLの間で最近とみに人気があるのが、ロンドンの著名なフラワーデザイナー、ジェーン・パッカー(JANE PACKER)の花束である。この人のアレンジメントの特徴は、花束を黒や白といった花とは真逆の色合いの包み紙でスタイリッシュにまとめるところである。黒と白の上に華やかな花といえば、ノーマルオカメインコの体と頭の色合わせと同じはないか!!(オカメインコ教の信者は何をみてもオカメインコにしか見えないという説は却下) 確かに、オカメインコは存在そのものが花束のように愛らしい。

 まりりんはスタイリッシュでヌーベルバーグなオカメインコの愛らしさをよくわかっておられるのだ。

今回の『花の王様』には三月二十一日に発行された『まりりん24』に掲載された作品も収録されている。24の由来を狭霧家嬢に伺ってみると、コミケ開催30周年を記念して同日に行われた、24時間耐久コミケに出品したものであるという。

コミケももう30周年か。

この30年間ジャパニメーションは世界にはばたき、日本のゲーム文化は世界を制覇した。オタク文化とともに年を重ねてきたわれわれとしては感無量である。去年はわれわれが幼少のみぎりに放映されたアニメ(キャシャーン、キューティーハニー、デビルマン)が次々と実写化されたが、その惨憺たる評価はおいとくとして、このような企画の原動力になっているのは、われらが世代であろう。大人になって人脈も金脈もできたところで、子どもの頃みたアニメの実写版をつくる! オタク世代のセンチメンタルジャーニーである。

  

 30年前、子どものものだったアニメや漫画は、いまや、世界にはばたく芸術となった。この文化とともに歩んできたわれわれは、永遠の大人子どもとして成長することなく、灰になるまでアニメや漫画を愛し続けるのだろうか。でもって、十年後にもコミケ40周年とかレポートしているのであろうか。

なんかやだな。