メインページに戻る

天海大僧正と江戸

キャスト:
天海上人 ごろうちゃん
家康 餓鬼道


 天海上人は会津に生まれた。ちなみに、「てんかい」と読むのであり、某宝塚出身女優の名字と間違えないように。

「明智光秀が実は死んでなくて、天海になった」という説もあるが、

◎天海上人近影 ↓

◎明智光秀近影





あまり似てないのでたぶん違う。







◎比叡山焼き討ちの貴重な映像 ↓(春日山の野焼きではありません)

地元で幼少期を過ごした後、比叡山に留学。そしたら、罰当たりな信長クンが攻め込んできて比叡山やいちゃった。


「なんちゅうことするんや」
あきれ果てた天海、徳川家康の師となって、ひそかに比叡山再興の機をうかがう。

◎「暴れん坊将軍」で言うところの江戸城↓。
 天海のおかげかどうか知らないが、徳川家康は戦国の世を勝ち抜き、江戸幕府を創設。

そして家康いまわの際にこう言い残した。

家康「私の葬式は増上寺であげろ。遺骸は久能山へ」


家臣一同「おおごしょさまあああああ(泣)」

◎東照宮に眠る家康↓

一年後、天海は、徳川家康の遺体を久能山から日光に遷し、家康をまつる目的のドハデな日光東照宮を建立して輪王寺に管轄させた。そして、江戸の鬼門は寛永寺でふさいだ。この二つの寺院は自分が貫首となって統括し、後にこの地位には、代々皇族がつくこととなった。

 幕府パワーと皇室パワーの合体によって、江戸の300年の平和が実現した。

 公武合体はスピリチュアルな世界ではずっと早くに実現していたのである。

 

天海のおかげで、比叡山は大復興。
天台宗はさかえまくり、天海上人は108〜135才まで生きた。

とっぺんはらり。

 


メインページに戻る