(1) 誕生
ツォンカパは中国・チベット・モンゴルの三つの文化の交差点、青海地方に1357年に生をうけた。ツォンカとは「葱(ツォン)地(カ)」という意味なので、生地には葱がたくさん生えていたと思われる。この生地にちなんで、彼はツォンカパと通称されるようになったが、「葱畑の人」(しかも発音は中国語)という名前を聖者の名前として考えると結構まぬけである。
中国語で葱の発音はツォン(cong)。
(2) 出家とその後の学問の日々
七歳にして幼年僧の戒をトンドゥプリンチェンから授かり、ロサンタクパ(blo bzang grags pa)と命名さる。十六歳になると学問修行のために中央チベットに向かう。それからは勉強、勉強、また勉強。しかし、机上のガリ勉に終わらないところがツォンカパのすごいとこ。彼は学習内容を瞑想によって吟味し、自分の心の性質を陶冶することも忘れなかった。
(3) 文殊菩薩のヴィジョン
三十四歳になったある日、ツォンカパは電波系の僧ウマパ(文字通りには「センターマン」という意味! でも、日曜の八時に体を二色に塗り分けてバックダンサー率いて踊っているオッサンじゃなくて、有辺と無辺の真ん中を見るという意味ね。)と出会う。
ウマパは「子供の頃から文殊のヴィジョンが頻繁に見えるのですが、ボクはおかしいのでしょうか」と人生相談。
そこで、ツォンカパはウマパの見る文殊菩薩のヴィジョンに仏典の解釈を聞いてみると、すばらしいお答え。「こりゃー本物だ」ということで、ツォンカパは最初はウマパを通訳にして文殊と交信し、三十六才のある日、修行の甲斐あって五色に輝くアラパチャナ文殊のヴィジョンを感得した。
それからは、文殊菩薩から教えを直接聞けるようになり、彼の学問は飛躍的に進んだ。そう、ツォンカパの天才はこの仏の智慧をあずかる文殊様と交信したからなのだ。
(4) 修行プロセスの完成
ツォンカパが学問上のことで、何を文殊様にお伺いしても、そのたびに「違う」と言われるスランプの時期があった。「うーん、どうしたもんだか」と悩むある夜、夢にインドの聖者ブッダパーリタがあらわれ、ツォンカパの頭の上に『中論』を註釈した自著を置いた。
目が覚めてから夢にでてきたテクストを読んでみると、今まで疑問に思っていた点がすべて氷解し、中観帰謬論証派の哲学をもって仏教を体系化するツォンカパの思想(代表作『菩提道次第大論』)が誕生したのである。
「これ読んでみい」
(5) 祈願大祭(ムンラムチェンモ)
五十二才、油がのりきってマッチ一本で完全燃焼しそうなツォンカパは、ありあまった情熱を、すべての命あるもののために向けんとした。正月一日から十五日までの月が満ちる期間、命あるものの幸せを祈願する大祭を挙行したのである。この祭りのために仏殿も仏像もお色直しされ、期間中、ラサの街には大量の灯明が灯された。その光輝は夜の闇を昼にかえ、真夜中にあっても地面におちる柳の葉陰が一葉にいたるまではっきり見えた。そう、この祈願大祭こそまさに彼の人生のハイライト。翌年、ラサの郊外にガンデン寺を建立、六十三才でこの寺で入寂し、遺体もこの寺に安置された。*当時の映像が手に入らないため、タイの蝋燭祭りで代用させて戴きました。 |