ダライラマ法王秘話 ②
供養する人々
2016年11月8日,ダライラマ14世は清風学園の招聘により来日した。清風学園を経営する理事長一家は80年代からダライ・ラマと交流があるが、意外なことに招聘元になるのはこれが初めてだという。さらに余計なことを付け加えれば、今回某国からのイヤガラセなどは一切なかったとのことである。これは某国が文明化した証なら嬉しいのだが、かなりの確率で、清風学園に限ってはへんな揺さぶりをかけても効かないことが分かっているからのような気がする。
というわけで、今回は新春企画としてダライラマ法王の来日期間の舞台裏のエピソードをご紹介したい。
●エピソード1 ジャガー
M社長(副校長の同級生)が、法王様を京都から大阪までお車でお迎えにあがる役目をつとめた。この役が決まった時、歓喜する社長の脳内のシナプスは、「法王様はお車に乗られる時よく頭をぶつける」 → 「車高の高い車にしなければ」 → 「そうだ、ロールスロイス買おう」と庶民には理解しがたい三段論法でつながり、ロールスロイスを買い、当日通るルートを三回往復して万全の準備を整えた。
しかし、法王事務所がこのロールスロイスを目にするに及び「カンベンしてくださいよ」というツッコミが入り、もう少し地味な車にすることを余儀なくされ、結局社長が普段のっているジャガーが法王様の送迎に用いられた。
社長はウキウキしながら京都から大阪へと法王様をお迎えし、灌頂が始まると、毎日法王おとまりのホテルから学園までの送迎を行った。その間、次第にこのジャガーが法王様のお車だという認識が人々の間に浸透し、本土からきた人々は社長のジャガーに信仰からお数珠をこすりつけまくったのであった。ああ、高価な車に傷が・・・・。
●エピソード2 経典を読む眼鏡
ダライ・ラマはお手元用眼鏡を新調したいと言われたので、M社長は知り合いの老舗の眼鏡屋さんに声をかけ、セキュリティの関係から眼鏡屋さんは事情を知らされないまま、11月10日にダライ・ラマの視力検査を行うことになった。当然、眼鏡屋さんは非常に驚いた。それから一週間後の11月18日、大学にいく途中の電車の中で宏一先生からのメールを受けた。
そこにはこう記されていた
今日、急遽横浜に法王さまが大阪で作った、遠近両用レンズのメガネをお届けして来ました。メガネのフレームは以前からお使いのものをとても大切にされているので、レンズを替えただけです。残念ながら瞑想中なのでお会い出来ませんでしたが、お経を勉強するためのものというご用命のものです。以前のはドイツで作られたそうです。
日本のものも、愛用して戴ければ良いのですが。
つまり、ダライラマのお手元に最速で眼鏡をお届けするべく、ただそれだけのために宏一センセは大阪から横浜まで出向いたのである。これには私も非常に驚いた(分かるような気もするけど)。
●エピソード3 お食事
ダライ・ラマの来日に先んじて砂マンダラを作成するため、ギュメのお坊さん11名が11月の初めに来日された。そのお坊さんたちの三度のお食事の提供は大仕事であるが、宏一先生の奥方妃女さんが統轄された。
M社長が、料理教室などのイベントを行う部屋をお坊さんの食堂として開放し、そこで妃女さんは11名分の料理を毎日作り続けた。しかし、妃女さんが日に日にやせ細っていくので、いろいろな方に声をかけた。すると、必殺料理人たちが入れ替わり立ち替わり現れてはごはんを作るようになり、ケーキやお菓子を差し入れする人も現れ何とかなりはじめた。
ダライ・ラマ法王が到着されると、奥方はさらに忙しくなった。法王の食べるものはすべて信頼できる筋の人が仕入れ、調理し、さらに側近の方が毒味をせねばならないので、その「信頼できる筋」の人たちに仕事が集中するからである。
しかし、妃女さんをはじめとする料理人たちは疲れたとも何もいわず黙々とお仕事をこなし続けた。かつて、お釈迦様が在世した時に、小さな子供がお釈迦様に土塊をお布施したところ、その功徳で子供はアショーカ王に生まれて世界(土)を征服したと言われているが、その伝でいけば高僧に食を布施しつづけている平岡先生の奥様とか金沢のBさんとかはすごい来世になりそうである。
こうして日々こともなく終わり、法王が無事に帰国されるとみな気が抜けまくってしばらくは何もできなかった。しかし、12月の初め頃、料理人たちの打ち上げの宴席から楽しい雰囲気をお裾分けしてくれる電話がかかってきた。それから数日後、今度は宏一先生が法王様の接待を行ったM社長らとうちあげをする席から電話があった。こちらもみな楽しそうであった。高僧たちの接待をした人々の間には同じ場を共有した一体感が生まれていた。
後に宏一先生はこういった。
「お坊さんのお世話をしたいと人々が自然に集まってきて、みなが協力しだしました。日本はやはり仏教国なんですねえ」。
ここで豆知識。
チベット僧は「仏教を売って暮らしてはいけない」と強く弟子を戒める。これはたとえばお経を読んだその代価でお金をもらうことなどを指す。ではどうして暮らすのか。「仏の教えによって心を磨き、その結果人々が『この人を世話したい』と思って差し出した布施で暮らしなさい」というのである。つまり、修業も勉強もしないで仏様がはじめた哲学をただ右から左に流している凡俗の坊さんを戒めているのである。今回、チベットのお坊さんたちとそのお坊さんたちを世話しようと集まってきた人々を見ると、この言葉のもつ意味が実感できた。
堕落をする前の非常にピュアな仏教の姿がそこにはあった。