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気分は「ラスト・サマー」

チベット高原は今日も大荒れ



 今回のチベット行きのメンバーは、大学の先生たちを主体としたため、いろんな意味でこゆかった。

 大学の先生は、自分の仕事や趣味を迷うことなく追求する人種であるため、団体行動が苦手である。それが複数である。とにかく、「けが人・死人がでないこと」という、この上なく低い目標を掲げつつ、04年八月十六日成田を出発した。ちなみに、チベット行きで誰もが利用するCAの成都直行便が乗客の減少を理由に今年から北京経由になったため、行きは、朝のとっぱちで、帰りも最終便という迷惑きわまりないスケジュールである。しかも、朝一のスカイライナーは満席で、あやうく成田に一泊せざるをえないとこだった。帰りも最後のスカイライナーにいかれて家に帰り着いたのは午前様だった。

CAなんとかしろ。

 わたくしの装備はあいかわらずやる気のかんじられないもので、機内持ち込みサイズのカートのみ。しかし、同行する先生方の荷物はなんかスゴい。トランクはいいとして機内持ち込みの荷物が大きい。聞くと、デジカメ、パソコン、その周辺機器なので、預けられないのだそうな。ちなみに、わたくしはデジカメはなんちゃってデジカメを一台もっているものの、一眼レフは相変わらずの銀塩カメラ。

古風(アナクロと読む)である。

 ダンナに布教のため無理矢理もたされたiPodが今回私が唯一自慢できる先端機器だが、「白金カイロ」「補聴器」などと同行者からは冷たい反応を頂戴する。しかし、iPodはこの後、随分気を紛らわしてくれた。デジカメの一眼レフにはヒーリング効果はないであろう。

 成都に一泊して、翌日ラサへ。さて、今回は初めての方が多いので、チベットの都ラサ、第二の都シガツェ、第三の都ギャンツェとまわって、代表的な観光地を網羅し、移動の過程ではチベットの自然を楽しもうという趣向。で、個人的にはその合間合間にゲルク派の祖師ツォンカパの遺跡をめぐっちゃおうというものである。

 しかし、のっけから暗雲。今年の七月チベットには記録的な大雨がふり、ラサ、シガツェ間の高速道路が不通となって、シガツェにいくにはヤンパチェン経由の旧道を通らねばならなくなったのだ。これでもう移動だけに時間がかかりまくりすべての予定が狂う。

 しかし、空気が平地の半分であろうが、ポタラ宮がくずれかかっているので入場制限していて、切符が前の日の午前0時に限定枚数で売り出されようが、チベット中があちこち工事中だろうが、中国がチベットの環境破壊をしつつ鉄道を敷設中であろうが、一度この地にはいったらそのエキゾチックな風土に魅せられて、アグレッシブにうごいてしまうのが私の性。

 さて、ラサについた。あれえ? いつも元気な諸先生方の様子がおかしい。無口になってるし、動きもなんとなくスローである。こんなうつろで元気のない彼らをみたのははじめて。旅行社の方が彼らの血中酸素濃度をはかってみると、みなの酸素濃度が異様にひくい。平地では常人はずれた体力をもつかれらも、高地にはそう簡単になじめないようだ。旅行社の話によると、体育会系の人(筋肉質で発熱型)ほど高所順応がよくなく、ふだん不健康でひよわな人ほど高所では元気になるそうだ。そういえば、空港でであった重症の高山病患者はみあげるような白人の大男で、心配そうにつきそっていたのは小柄で細身のかよわそーなおねえちゃんだった。いちいち思い当たることばかり。

 思えばこの一ヶ月の私の生活といえば、某韓国俳優にはまったあげく、朝から晩までパソコンの前にすわり韓国ドラマを鑑賞する日々、その間まったく運動をしなかった。この不健康な生活により、わたくしの新陳代謝は異様に悪くなり、その結果私の体の酸素消費量はへり、高所の影響がでにくくなっていたのだ。ビバ、怠惰生活!

 空港からすぐにゴンカルチューデ、ドルマラカン、それからラサについて、パルコルを一周しがてら、チャムカン、ムル寺、ツァンパラカンなどをまわって、ダライラマ六世の愛人の住んで家をカフェに改造したマキアミに入った(この初日の強行軍にみなのダウンの原因があるという説も)。マキアミで私がダライラマ六世と東アジア情勢についてかたっていると、なんか全員が危ない感じで眠りにおちていく。その上ホテルに戻ったら、エレベーターが壊れていて全員三回まで階段を上がらされた。夜はみな食欲がないし、みるとチアノーゼを起こしかけてる。

こりゃ、いかん。

 詳細は省くが、その翌日からはメンバー中二名にドクターストップがかかり、ラサにあしどめをくってしまった・・・・。翌日からまだ体の動く人だけをつれて、強行軍が始まった。しかし、調子にのっている私を天は照覧されていた。カメラをふとみると43枚と表示が。はて36枚とりのフィルムだったはず、と開けてみると、まあ、びっくり。

フィルムが入ってない

思えばこれまでもカメラについては様々なトラブルがあったが、今回のトラブルの原因は明らかに私の頭にある。いや、いままでのトラブルも厳密にいえばすべてわたしのスカタンが原因である。ま、これも高地故と言い訳をしつつ、遅まきながらフィルムを入れる。

 こうして、デプン寺でモンゴル布教の最先端ゴマン学堂をみ、ノルブリンカでダライラマ猊下の無念をしのび、西蔵博物館で共産中国のチベット支配の論理を学びつつ、ポタラ宮で乾隆帝の僧形圖を確認し、セラ寺で坊さんの昇任試験を観光し、チョカンでジョー・シャカムニの金箔張り直し儀礼をみて、数日かけてラサ観光を一通り終えた。ショトンの期間であることもあり、至るところでイベントをやっており、被写体に事欠かない。某先生も、今までいろんなところを旅してきたけど、一日百枚以上写真をとったのは初めてとおっしゃってくれる。チベットは本当に美しく、そして魅惑的な地なのである。

 さて、移動日である。私は長時間の移動があまりすきではないので、音楽きいてやりすごすことに決定。しかし、同乗の自然地理学者の先生は、ご専門が「川がつくる地形」であるため、川沿いの道を走り続ける今回の移動は非常に嬉しそう。走るジープの中から写真をとりまくって、「扇状地」「凍結破砕れき」「後背湿地」「泥炭層」などの専門用語を連発されている。

 そのうち、わたしは「チベット高原の自然って単調」と思っていた自分の目が節穴であることに気がつく(遅すぎ)。

 わたしはチベット高原にある砂丘は中国人の環境破壊によってできたと思っていたら、あれは大河の力によって生じたもので、こんな上流に砂丘があること自体がヤルツァンポが大河であることの証なのだそうだ。また、ざれ山と思っていたのはじつは扇状地で、工事で白くにごっている川と思っていたのは、氷河の運んでくる微細な土砂の色で、「グレイシャー・ミルク」という美しいネーミングまであることを教えて頂いた。また、チベット高原を流れる大河はしばしば複雑な流路をとるが、これは網状流といい、自分の流れたいように流れている、川の一番美しい姿なのだという。

 わたしは歴史学者なので何をみても、人間の歴史に結びつけて解釈していたのだが、その多くは誤りであり、チベットの自然とはもっと長いスパンの地球の歴史の一断面として見るべきものだったのである。

 やはり、あらまほしきは先達である。この旅の終わりには、私の猿頭は多少進化をとげ、「おお、雪山とヤクとグレイシャー・ミルクと網状流の四点セット、一丁あがり!」とかいってシャッターをきるほど、チベットの自然を楽しんでいた。

 このヤンパチェン経由の旧道は途中5400メートル? だかのショクラ峠を越える。わたくしは雨女であるためこの峠では当然、天から猛吹雪をお見舞いされた。しかし、おかげで真夏であるにもかかわらず、iPodで冬ソナのサントラをそれっぽく聞くことができた(←バカである)。

 そして、このあと、ギャンツェのペンコルチューデを全室めぐり、かつ、ツォンカパがレンダワから般若思想を学んだツェチェン寺などを訪れ、ちょうど折良くチェチェン村の収穫祭などにも参加させてもらった。そして私が次の目的地にみなを急がすと、某先生ぽつりと、「時間を気にせず、こんな麦畑でぼーっとしていたい」。私のくんだハードな予定に疲れ果てての一言であった。しかし、その一時間後、彼の言葉はじつにしゃれにならない形で成就する。チベット高原では真実の願いは妙な形で実現することがあるので余計なことは口にしない方がいい。

 詳細は書けないが、ホラー映画、ラスト・サマーの主人公の気持ちが分かったとでもいっておく(いや、あれほど深刻な結果になってはないし、あんな卑怯なことはしてませんが)。この騒動の結果、われわれは最寄りの町まで数十キロの麦畑の中に放置され、現地の人々に遠巻きにされながらいつくるともしれない迎えをまつこととなった。そのうえ、麦畑の真ん中だっちゅーに、雷がなりだし、見るとハイウエイの向こうからスコールが迫ってくる。しかも、その時ふったのは土砂降りプラス雹。雹だよ、雹。それまではカラッカラに晴れていたのだから、チベットの神様が怒っていたとしか思えん。

 というわけで、しゃれにならないエピソードを重ねつつも強行軍はつづき、帰りみちは一応晴れたので、キングドン・ウオードの『ヒマラヤの青いケシ』にでてくるブルー・ポピーをはじめとし、高山植物の姿を写真におさめつつ、ラサに帰る。さすがにへとへとである。

 しかし、次の日再び再起動し、ラサ郊外のガンデン寺、ツェルグンタン、タクツェなどをめぐる。ガンデン寺は4000メートルを越える山の上にあるため、高山植物が美しく、コルラをはじめたら、みないつのまにか、高山植物やバードウォッチングに消えてしまった。探しにいくと、川が造る地形がご専門の先生は、見晴らしのいい絶壁で川のスケッチをしていた。そういえば、ヤンパチェン盆地で強風のふく中、彼女はただ一人平原の真ん中にすわって強風をものともせず、雄大な風景を肴に食事をしていた。根性なしのわたしはジープの中で食事をしていたというのに。自然を舞台に研究する研究者というのはほれぼれするくらいかっこいい。

 その夜さらに私は彼女のかっこよさを知ることとなる。「GPSの奇跡をみせてあげる」というので先生の部屋におじゃますると、彼女はGPSのデータをパソコンにおとし、これまでわたしたちのうごいてきた軌跡をみせてくれた。われわれの足跡は緯度・経度・時間・高度つきでパソコンに表示された。デジカメ写真は撮影時間が記録されるので、これと写真の情報をつきあわせれば、写真をとつた位置が正確にわかるではないか。

 理系のやることはとにかく徹底している。 そういえば、もうお一方の生物の先生もいつのまにかホテルでパソコン通信やってるし。スライドショーつくっちゃってるし。もう一人の文系の先生もデジタル・ライブラリーとかいってるし。文系の中でも化石頭の私には理解不能の世界である。

 しかし、最後に一言いっておく。高地に順応するのは私が一番早かった(負け惜しみ)。


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