[戻る]

『チベット仏教世界の歴史的研究』

(東方書店 ISBN4-497-20103-1 定価6000円)


現在復刊運動中です。

以下↓のページで清き一票をお願いいたします。

http://www.fukkan.com/vote.php3?no=15160


 チベット・モンゴル・満洲(チベット仏教を紐帯としたこの三国を本書ではチベット仏教世界という)と中国の歴史的関係について語る本は数多い。しかし、そのどれだけがきちんと原史料にあたって書かれているであろうか。「チベットは歴史的にいって中国の一部であった」という珍説が異常に多くの信者を獲得していることからも分かるように、巷間に流布する大半のチベットについての記述は、他人の説を無批判にひきうつすことによって拡大再生産されているだけであり、原資料にあたって記された良心的なものは数少ない。たとえ原史料を用いた研究であっても、その大半は漢語で書かれたものを用いていおり、その結果自ずと中国側の事情にかたよった視点で歴史像が提示されてきた。しかし、中国とチベット・モンゴル・満洲関係を明らかにしようとした場合、一方の中国側の事情を述べる文献ばかりを用いていて正確な歴史像が描ききれるものであろうか。当然、チベット・モンゴル・満洲語で書かれた資料を用いてはじめて、両者の間関係の真の本質が見えてくるものであろう。中国とチベットの関係を語ろうとする時、中国資料をいくらつみあげても、核心には迫れない。研究者は本質の周辺をぐるぐる回るだけである。なぜなら、両国関係の基盤はチベット文献・チベット仏教の価値観をおさえてはじめてみえてくるものだからである。
 本書は、中国と関係を、チベット語、モンゴル語、満洲語の一次資料を縦横に駆使して描き出したものであり、これによって提示された関係像は従来の、「チベットは古から中国の一部であった」という例の珍説を論外なものとして斥け、一方「近代以前の中国とチベット・モンゴル・満洲の関係にはチベット仏教的価値観がベースにあった」という少数ながらも存在する良識派の「隔靴掻痒」の説をきちんと民族側の価値観にのっとって解析したものである。

 対象とする時代はあの壮麗なポタラ宮が建立された17世紀を中心として13世紀のパクパ・フビライから18世紀末の乾隆帝にまで及ぶ。

 専門書ながら非常に分かりやすく書いてあるので、多くの人にこの本を読んで戴いて、数だけは巷にゴマンとあふれる、孫引き・引用オンパレードの両国関係像を訂正していただけたらと思います。

最後に、結論部分からさわりを公開。

*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜

 チベットと中国の関係は言うまでもなく仏教を抜きにしては考えられないものである。しかし多くの研究者はこの仏教的な価値観を理解不可能なものとして最初から度外視し、大切なのは仏教を「利用」して行おうとしていた何かであると思い込む。しかし、パンチェンと乾隆帝はその会見において、中国とチベットの上下を規定するようないかなる儀礼も政策の宣言も行っていない。万寿節に参加した満洲・モンゴル・朝鮮の人々が目にし耳で聞いたのは、乾隆帝とパンチェンが仏教に基づく政治と仏教僧団の繁栄を祈願する姿であり、彼らが今生において出会うに至った過去世の物語であったのである。・・・・・

 中華世界が一人の皇帝を頂点に戴く階層的な世界観を作り上げるのとは対照的に、このような菩薩王が君臨するチベット、モンゴル、満洲の世界観は、複数の菩薩がそれぞれの国で仏教と有情の利益のために働く複眼的な世界観を結ぶ。一見して求心力に欠けるように見えるが、同じ価値観を共有した王侯が同じコードを用いて交流するため、それは全体として見ると一つの「場」を構成するのである。

*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜


とにかく画期的な本です。読んでみてください。


[戻る]