☆ネパール聖地巡礼☆(その3)
今日午前で学会は終わり。Proceedingは日本語でもオッケーとのことであるが、四津谷さんにAudienceが少なくなるからやめろと言われた。中国寺からきた本土中国人が勝手に学会写真をとりにきて、みな怒る。シューは「写真をとられるのも仕事のうち」といい、さすがは学者にして市長さんとゆうコメントをくれるが、カイプは「チベット学会をネパールと共同開催して大成功とかふかしに利用するんだ」と当然のお怒り。
午後はお釈迦様が出家前の青春の日々を過ごされたカピラバスツへ。途中はモスクが一杯ありなぜかイスラム世界。これらはパキスタン難民が最近つくった村だそうな。ネパールもパキスタンやチベットからくる難民ばかりでご苦労なことじゃ (しかも難民の方が勤勉で国があぶない)。カピラバスツ周辺は土に帰りかかった超貧しい村がたくさんあり、ヘザーは「多分ここの生活は何千年もかわっていないんだろう」と感慨深げにいう。城跡には博物館と遺構らしき煉瓦積みがあるが、煉瓦の上には1995年の刻印が。カピラバスツが築5年とはおもえないので聞いてみると、立正大学が遺構にそって煉瓦をならべたのだそうで、報告書もないそう (↑写真はコパン寺にて。)。
お釈迦様が出城したといわれる東門の遺構のところでは、ヒンシュクをかいつつ出城のポーズをとる。シャッターはロベルトにおしてもらった。ゼータクだろー。バスにもどると、カイプから「それでオマエは覚りから輪廻にもどったわけだ」とジョーダンとも本気ともつかぬツッコミをされる。明日の夜は機内泊なので今晩のうちと思い大浴場でくつろぐ。こうしているとまるで日本だ。しかし、明るいうちにみると湯垢がいっぱい浮いている (ゲー。掃除してくれ。)。その夜は、ルンピニーをいろどるパビリオン (おいおい) の一つ、中国寺で北京からきた僧と会食。お茶を飲んだ部屋にテレビがあったので久しぶりと喜んでONにすると、なぜか中国の番組しか映らない。すると、二年前中国で見たような俳優が二年前よりもっと派手なアクション (空中浮遊・爆薬つき)を競いあっている。香港の影響だなと笑いあった。ルンピニーは電力事情が悪いので帰り道は真っ暗。天の川を楽しみにしていたがバイラヴァからくる汚染大気でそれどこではない(←写真はボードナートのストゥーパ西側にあるパドマサンバヴァ祠)。
三月七日 火
八時発でルンピニーを離れる。行きは日の射す側で暑かったので行きと同じ場所に席をとり暑くないようにしようとしたら、アメリカ人ケビンがすでに荷物をおいていた。そこで勝手にどかしてすわる。ああ、おばさん化さらに進行。
カトマンドゥのチミ地区にあるクリストフの家につくと、そこはインペリアリズムとオリエンタリズムのハーモニーが奏でるステキなく・う・か・ん。チベットの僧院風に立てられた四階だてで、一階は居間、二階はカール(所属忘れた)、三階はクリストフ (LIRI所長)、四階はブッカード (大英図書館) の書斎兼客室部屋となっている。部屋にはチベッタンラグがしかれ、壁にはポタラや釈迦像などがかかげられ、屋上にはストゥーパとタルチョー。窓からは雪をかぶったヒマラヤの峰峰が。机の上には薫玉堂のお香まで。これからは彼らをオリエンタル三兄弟と呼ぶことにしよう。家の前にはふつーのたてものがあるが、これはクリストフの庭師と運転手とコックのものだった。まわりは裸足のネパール人がくらしているのにそこは別世界 。
そういえば、この学会自体が貧しいネパール人をしめだしたルンピニーという結界の中で行われたものだった。人工的にまもられた空間でオタクな話をするわれわれの姿は、オリエンタリズム以外のなんであろうか。ははははは。
かれらと最後の晩餐をたべて空港へ。空港で一人旅の女性と知り合った。その人はネパールにおける日本のボランティア団体の病理について詳しい。わたしが「そういえばムスタンで米つくってたバカな日本人をテレビでやってたな」とゆうと「あそこにいるのがその人です」と彼女の指さす方向をみると、そこにはテレビで見たムスタン米おやじのお姿が・・・・。世の中って狭いね!
噂では、彼はボランティアにくる20代の女性にプロポーズするわ、経理はむちゃくちゃだわ、病院を建てたのはいいが、その理由が自分がかかりたいから、死ぬ時に祈祷師だけに看取られるのがいやだからとか、夢はノーベル平和賞、もちろん米作りはギネスにのせたいと公言しているとか。あ〜あ。現地の人は彼の米をダイヤモンドといってるとのこと。まあ、これがほんとだとするといやあね。
(←写真はカトマンドゥ、ダルバル広場。わたしがうつっています。さてどこでしょう)。
やはりボランティアは現地の実状に合わせるのが一番である。押しつけ援助だと、結局はODAとかで日本企業とネパールの上層部がもうけるだけとか、こんな風に誰かの名誉欲、色欲、金銭欲が形を変えたにすぎないなんてことになるからね〜。
でも、「こんな悪運つよそーなおじいさまと一緒の飛行機だったら間違いなく安全に日本につけるわ」と妙に安心したイシハマだったのであったった
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