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ああ、北海に日は落ちて


今回は「北京碑文調査行駆け足二泊三日ツァー」である。

 成田エクスプレスにのったら、第二旅客ターミナルでおりるべきを、第一までいってしまう。そいで登場手続きして登場口にいったら誰もいない。おかしいと思って搭乗券をみなおすと座席番号と搭乗ゲートを間違えていた。

 旅客ターミナルやゲートをまちがえる、これは、いままでになかったことである。

 巴御前は鎧が重くなって戦場(フィード)から引退したが、わたくしもそろそろフィールド引退して、安楽いす歴史学者に転身する時期がきたのだろうか。

 ところで、いつフィールドしたっけ。言うほどしてないって。

 三時間で北京につく。ガイドさんの話によると、先週までは温暖化の影響で温かかったのに昨日あたりから零下が続いていてごっつい寒いという。

 今回の目的は順治八年に順治帝の親政開始を記念してたてられた一塔二寺の三つの碑文をまわって、その内容をうつしとり、かつ、現状を確認することにある。

 二寺のうちの一つの碑文は完璧な拓本が残っているので、あとは仏塔の碑文と残る一寺の碑文二つ。ほぼ同文なのでそんなに手間がかかるはずはない。

 ホテルにつくなり着ぶくれ大魔王(六枚重ね着)に変身して、最初の碑文へ突撃。

 わたしがこれから向かおうとしているのは、かつて皇帝が船遊びした北海の上にある小島の上の仏塔の碑文である。

  タクシーのうんちゃんは「あんな風がふいて寒いばかりのところになんでいくだ」と不審がる。

 雪ののこった北海公園敷地内には、これまたきぶくれた外国人がちらほらいるだけ。中国人観光客はこんな寒い日きませんて。ロシア人観光客が寒いといい、白人のおばちゃん観光客が鼻水を垂らしている、それくらい寒い。

 「北海」って名前からいったって寒いんだよ。

 大体の場所は日本で聞いておいたので、島にわたって迷わず右にいく。そしたら工事のため立ち入り禁止の黄色いテープがはってある

 こんなところで遵法意識をみせても学問の神はお喜びにならない。

 迷わず突破。観光客がこないからラッキー(工事関係者がみたらどうすんじゃ)。

 そして碑文にたどりつき、作業開始。

 さむい。

 空港に午後一時におりたとき、機内放送でマイナス四度だといっていたが、いまは日も傾いているし、風も強いので、もっと低いだろう。

 着ぶくれ大魔王なので、体はいいのだが、顔はどうにもならない。また、カメラやペンを扱う時はどうしても手袋をとらなくてはならず手が動かない。それに靴の底からマイナス何度かしらん冷えがずんずん響いてくる。

 それに風が強いので、資料類がすぐとぶし、ボールペンのインクが凍って出ない。

 こりゃいかん。

 二時間ねばったがボールペンがでなくなりあえなく撤収。寒い日はシャープペンに限ることを学ぶ。

 そのあと、二寺のうちの一つ普勝寺の現状調査。

 ホテル近くのウイグル族のメシ屋で羊肉いりのウイグル面(少数民族のゴハンだとなぜか消化する)をたべながら明日の対策を練る。

   翌朝、両足と両ポケットと両手袋に使い捨てカイロをいれ、顔はマスクをし、ボールペンはこのカイロのはいったポケットにいれ、インクが凍らないようにして再起動。

 八時半、二番目の目的地の五塔寺碑林にある普勝寺碑文に突撃。
 ここは五塔寺という寺で、その境内には北京の置き場のなくなった碑文の集積場所になっているので有名である。

 二年前の夏、この碑文を見つけてオモシロそうなのでメモって帰ったら、本当に面白くてこんどの論文を書くことを思い至ったのである。

 九時きっかりに境内につき、さっそく碑文にとりつく。

 この碑文は臥碑で比較的たけが低いのと、裏面はともかく表面の保存状態は非常にいいので、人目を盗んでよじのぼってみる必要もない(そんなことしてませんてば、ほほほほ)。

 昨日にひきつづき今日も、極寒の寒さ。

 何時間も同じ碑文の前にいると、面白いことに気づく。

 太陽が動いて碑文をてらす光線の角度がかわると、損傷がひどかったり、彫りがあさかったりして肉眼ではどうしてもみえなかった線や点がある時くっきりと見えることがあるのだ。

 写真にとって処理をした時にも、肉眼ではみえないくっきりした線がでるが、この光線の加減によって内容がはっきり見える瞬間は感動する。

 とくに満洲語やモンゴル語は点のあるなしで意味がかわる単語もおおいので、点が見えるか見えないかは非常に重要なのだ。

 寒くてつらい作業だが、このようにくっきりと碑面が見えた瞬間、何の神様かはわからんが、その神様からご褒美をもらったような気がする。
 
 そのあとまたふたたび昨日途中で投げ出した北海の碑文に戻る。本日は昨日よりやや気温が高いのと風がましなので、作業は比較的らく。

 寒さゆえの幻覚か、昨日よんだ部分を今日みるとぜんぜん違うとこがあった。

 大丈夫か自分。
 
 そのあと、北海訪問の目的のもう一つにとりかかる。それは、17世紀にカスティリヨーネによって描かれた「北海の乾隆帝」の絵と同じアングルから写真をとること。絵と同じ位置から写真をとると、やはりそうだ。

  乾隆帝の背後に描かれていた小さな高層の建物はいまはなき闡福寺にあたる。かつてこの闡福寺について論文を書い た時にはこれにきづいていなかったので、今度この論文を何らかの形で再録する時はこの発見もつけくわえておこう。

 二日目もおわり、昨日と同じウイグル族のメシ屋でウイグルチャーハンを食べる。

 夜は手書きのメモをパソコンにうちこむ作業。字が汚くて不明なところがあったらまた明日いってそこの部分をみるつもりだが、まあなさそう。

 三日目。帰国日だが、午後一時にホテル出発なので、午前中はあいている。こういう時研究者はだいたい本屋めぐり。

 王府井の本やから瑠璃廠をめぐり両手に本をさげて十二時過ぎにホテルにかえると、ガイドから電話。フロントには十二時半におりてこいと。

 三十分はやくなっとる。なんでも中国の国会にあたる政治協商会議が今日からはじまり道がこむから早めにでるという。そういえば今回はタクシーがなかなかつかまらなかったが、あれは乗車拒否ではなくて国会会期中で交通規制が厳しかったからか。迷惑な話だよ。

 どう考えても荷造りの時間がないので、とりあえず入るだけ本をカートにいれて、残りはレジ袋のまま手にさげてフロントにおりる。

 空港についてからなんとかすべての本をカートにつめるが、ぱんぱんになり、いまにもチャックがこわれそー。荷物に預けて投げられたらまずはちきれる。  しかたないのでカートをひきずって機内に入る。

 疲れた。でも、離陸後二時間四十分で成田である。今晩十時からの「ハケンの品格」に間に合う。

 

 とにかく中国は近い。つまり、この国に何かあると好むと好まざるとにかかわらず日本に影響がでるということ。

 そいえば、中国に入国する時、検疫で鳥インフルエンザを意識したと思われる 「この七日間、鳥と接触しましたか」という項目があった。 この質問じゃ、家庭内で大切に世話されているコンパニオンアニマルまではいってしまう。

 さらに言えば、SARSだって、鳥インフルエンザだって、悪性のウイルスはみな大陸発である。ちなみに日本入国の際にはこんな質問はされないことを考えると、どれだけ、かんちがいな質問かがわかるであろう。

 わたしはウソはつくのも、つかれるのも大嫌いだ。しかし、この場合は質問がおかしい。

 ので、365日、マイ・スイートハート、ラブリーオカメインコごろうちゃんにほほずりし、見つめ合い、楽しく暮らしているにもかかわらず、さわやかに「No」と嘘をつく。


 

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