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祝! 鈴の助、野生復帰

(注 めずらしくシリアス)



↑ 温室育ちのオカメインコ


四月十二日

 庭で雀がのたうちまわっていた。巣立ちに失敗したヒナというよりは、大人が怪我をしているように見える。近づくだけで転げ回るので、そーっと側を通り過ぎて、刺激を与えずに捕まえる方法をいろいろ考え、結局、スカーフをふわりとかけてつかむことに決定。案の定うまくいって、あまり刺激を与えずにキャリーにうつすことができた。

  ↓ 野生育ちの鈴の助(被写体の協力得られず)
 しかし、今日は土曜日。近所の病院は閉まっている。そこで、次点の病院をはんすうし、×○病院にするか、グローバル動物病院にするか考える。検査オタクの×○の病院では、この症状では間違いなくレントゲンとか血液注射となる。しかし、人間との信頼関係のない野鳥にこんな検査の苦痛を味あわせれば、ショックで死ぬ可能性もある。そこで、グローバルにすることにする。距離も同じくらいだしね。

 しかし、あわてていたので、桜木町で乗り換えるところを横浜で降りてしまい、結果、市営地下鉄の駅まで150メートルも歩くこにとなった。板東橋でおりて昔の記憶をたどって目的地に到着すると、診療所の前には長蛇の列。もともと待合室は三人座れるベンチがあるだけなので必然的に大半の人は露天である。今日は比較的暖かいからいいけど、雨がふってたら客は病鳥抱えてどないするねん。これは間違いなく一時間以上は待たされる。

 ここで昔の私ならパニクったところであるが、大人になったわたくしは冷静に状況を分析し、前の人にこの順番をとっておくようにお願いして、財布をぬいたバックを地べたにおき、財布とキャリーをもって途中にあったペットショップに向かった。ここで、ご飯と水入れを買い、あつかましくも、事情を話してレタスをわけてもらい、雀がそうしたいと思ったら、水もご飯も大丈夫なように体勢を整える。

 えんえんと待ち続けてやっと自分の番がきた。先生は、ライトで眼球反応を確かめ、翼と足をみて、「翼と足には異常がないので脳しんとうではないか。」とおっしゃる。そういえば今朝は風が強かった。さらに、まりりん(オカメインコ)が夜中にあたまをうって、翌日にはまっすぐに飛べなかったという話を思い出し、「まりりんは今元気なのだから、この鳥も大丈夫なはずだ」と言い聞かせつつ家路につく。高橋先生の薫陶をうけて、その弟子であるグローバルの先生も野鳥の診療にはお金をとらない。払いたい人は受け取ってくれず、払いたくないような人は払えとうるさい。世の中うまくいかんもんだ。

*(高橋先生とは、日本ではじめての小鳥専門の病院を田園調布に開いていた伝説の名医。)

 家に帰って竹かごにうつしてしばらく休ませてから、試しに飛べるかどうか畳の上に放してみる。今朝よりはましなものの、やはりバランスがとれないようでこれではとても外に放すのは無理。あまつさえ、よくみると片目だけつぶって何度も不規則に頭をふっている。これってさきちゃんの時にもあった症状・・・。とても暗い気持ちになる。

(二年前に神経症状をおこして一月後に落鳥したセキセイインコ)

 竹籠に戻すついでに呑む点滴薬を口に含ませてやる。人の手ににぎられて雀は恐怖に震えている。あのまま放置していれば、一時間後にはネコにとられていたから(近所にはコテツという性悪ネコもいるしな)、雀はこの苦しみを味あわないですんだはずだ。果たして自分のやっていることは正しいのか、と揺れつつ、雀がおびえるので人は部屋をでる。雀にすればセキセイインコとオカメインコに囲まれ、オーストラリアのハイスクールにたった一人で転校してきた日本人のようなよるべなさであろう(その上病気)。一抹の不安はただようが、人間と一緒にいるよりゃー落ち着くだろう。二時間して部屋に入ると前よりはバランスが戻っているようで、少し希望がわく。

(セキセイインコとオカメインコは元来オーストラリアの鳥。日本の雀とは言葉も通じないであろう。)

 寝る前にもう一度薬をあげようかとも思うが、一応考えてやめにする。ごはんは床にまき、赤穂もいれ、水入れもいれた。これで自分で餌がとれなければ、それは寿命である。しかし、関わった以上、やはり生きて治って野生に戻ってほしい。

四月十三日
 六時半におきておそるおそる雀を見ると、生きている。しかし、部屋ではなしてみるとやはり飛び方がおかしい。外に放せる日はくるのだろうか。しかし、良いこともあった。物陰に隠れてみていたら、ごはんを食べ、水を飲む瞬間を確認することができたのだ。生き物はごはんをたべているうちはまだ希望がある。

四月十五日


  まず八時四十五分に雀をつれて病院へ。雨が降るので徒歩である。雀にもその方がいいしね。今回はあまり待たされず、すぐみてもらえた。見立てによれば、一週間たてば障害が残るか否かがわかるという。障害が残ればウチの新しい子になる。名前は鈴の助か、鈴子だな (もう飼う気でいる)。ところで雀の雌雄の判別はどうやってするのだろう。

*(野鳥を飼うことは法律で禁止されているが、このような緊急避難的な場合は許される)

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 この後、一週間たっても神経症状がおさまらないので、鈴の助(鈴姫)と命名して本格的に養わせて頂くこととする。籠も竹籠からもうちょっと広いカナリヤ用の丸籠にうつした。

 この間雀は、ごはんやお水を換えるために人が側によるたびにパニックをおこし、とくに籠に手をいれている間は、さらにこの世の終わりのように大騒ぎをした。鳥の先生が「野生の雀はなつきませんよ」と言った言葉が頭をよぎるが、このままはなしても即座に死ぬのでどんなに嫌われても仕方がない。

 四月の終わり頃から雨がちになる。ときたま晴れて表にだすと、カラスや鳩がやってきてそのたびに雀は大パニック。結局網戸にして家の中で外の空気を吸って頂くことにする。

 ある時期から、わたしの姿をみても暴れなくなった。「なついてくれたのでは」と一縷の希望がわくが、しばらくたつと、ふたたび前と同じように私が側によるだけで、本当のことを言えば視線を投げるだけで騒ぎ出した。 では、いままで静かだったのは具合が悪かったのか・・・・。よくみると、バランス感覚もよくなっているようだし(ひっくりかえってばたばたするようなことがなくなった)、頭を天上に向かってふるあの独特の動作もましになっている。よくなってきている。

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五月二十五日

今日はめずらしく晴れ。保護した野生の鳥を自然に戻す際には五月の晴れた日の朝がのぞましい。日が長いのでなまっていた翼が感覚をとりもどす時間があるし、食べ物が豊富な季節だから、少々動きにキレがなくとも餓死する可能性が低くなるからだ。


 家人と相談して部屋の中ではなしてみて、大丈夫そうだったら、窓をあけてそのまま出すことにする。部屋にはなしてみると昔より遙かにまっすぐとぶし、ダッチロールもない。そこでガラス戸を開けてみる。まっすぐ飛んで、隣の家の玄関口に舞い降りた。長い座しきろう生活で、羽がにぶって高度が保てないのかと思い、[いざというとき捕まえるための]風呂敷もって表にでると、鈴の助はすでに玄関口からとびたって庭の梅の木にとまってこちらを見ている。そして、さらに奥の庭木に平行移動していった。

 野生に戻ったのである(感動)。庭にはたっぷ りとアワ玉をまいて、鈴の助の野生生活を草葉の陰から応援することとする(関係ないきじ鳩も来ているようだが)。

 病気は再発するかもしれない。四十日ものあいだ人に養われた後遺症もあるかもしれない。しかし、初夏の豊穣な自然は彼のもつ自然の治癒力を高め、彼を再び強い野生の鳥に戻してくれるだろう。そう信じる外ない。温室育ちのオカメインコを肩にのせつつ、人に決してこびることのなかったあの気高い野生の魂の幸せを心の底より祈った。

 *しかし、よく考えたらこの温室育ちのオカメインコも、甘やかして育てたため人間に媚びない。我が家は気高い魂ばかりが集うようである。


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