[マスコットキャラごろうちゃん | 前のページ | 次のページ]
今日はごろうを我が家にお迎えして丁度四年目のアニヴァーサリー。この良き日を記念して少しでもこの美しい生き物のやくにたとうとわたしたちはWWF(世界規模の動物保護基金)の会員となりました。そして、このサイトを応援してくださっている心の浄い方々のために、特別にごろうちゃんの幼少期のヒミツを母の視点から公開したいと思います。題して『はてしないごろうちゃん物語』。ミヒャエルエンデがなんと言おうがこの題名で決まり。
四年前、我が家には白オカメの美少女がいた。美しい黒い瞳に、レモン色のかかった美しい羽根。ひまわりと麻の実をよくたべるためむっちりとしたお腹は雪のように白くぱっつんぱっつんだった。その美しい外見には似合わず、体力もあり、部屋の中を40周するのが文字通り朝飯前の運動という強羽の持ち主であった。しかし、普段は女の子らしく無口であり、彼女を肩にのせる人間はしばしその存在を忘れた。
それが落とし穴であった。
運命の日、わたしは近所のおばはんと立ち話をしていた。そして、何かのことで家の中にいる夫に向かって、大声で確認をとった。夫がでてくる気配がしたので、「わざわざ出てこなくていいよ」とゆうと旦那は家の中から「いいよ、行くよ」といい、今思うと虫の予感であろうかわたしは「でてこなくていいってば」と再び叫んだ。しかし、人の言うことなんかひとつも聞いちゃいない夫は玄関からでてきてしまった。美少女を肩にのせたまま。夫は美少女が肩にのっているのを忘れていたのだ。あんまり静かなので。
美少女は「ぴょ」と一声たからかにないて、そのまま大空へ何の迷いもなく(くくく)飛び立っていった。わたしは夫に見つけるまで家に帰るなと怒鳴りつけ、泣き崩れた。(この話をあとで憤慨して他人にしたら「鳥だけでなく旦那にも逃げられるよ」と言われた。くくくく・・・)
旦那はポスターをつくって貼ってまわっていたようだが、私にはもうダメなことは分かっていた。あの強羽でとばれた日には、もどってくるわけがない。キロ四方に貼ってもおぼつかない。前に逃がしてしまったセキセイは付近一帯を三年間探し続けたが結局戻ってこなかった。もうだめだ。その美少女と暮らした四年の日々が走馬燈のようにぐるぐるだ。
そう、この美少女の逃げた日こそがごろうちゃんが我が家にきた日。一日もオカメなしでは暮らせない私は、その日の午後、隣駅にして最寄りのペットショップ(鈴木鳥獣店。鳥獣って・・・)に走った。そこには、白オカメとノーマルオカメのプリチなヒナヒナが二羽おいでました。見ると、白オカメのヒナは元気なくうつらうつらしており、ノーマルのヒナは大口あけて餌をねだっていた。即座にノーマルに決定。生き別れの次に死別じゃあ、もう立ち直れないからな。丈夫なヒナにした方がいいに決まっている。ごめん白ちゃん。いい人にもらわれてくれ。
聞けば、そのノーマルヒナは生後一ヶ月くらいだという。では、十月の末か十一月の頭にうまれた秋子か。名前は美少女の身代わりなので同じくごろうである。わたしにとってごろうは始めて見るノーマルのオカメインコだった。ひどい話だが、白い美少女を見慣れていた目には、全身灰色でツメまで黒いノーマルのヒナは、ものすごくみすぼらしくみえた。うるさく泣きわめきがつがつ餌を食べる姿はあさましさすら感じられた。それを見ていると、最初は愛情もあまりわかず、おっとりした白オカメがひたすら懐かしくて泣けた。まだヒナヒナのごろうちゃんのすみかはとりあえず段ボール箱に決定。
その頃わたしは専門書の共同出版をかかえていてほんど家にいなかった。ごろうは朝晩の挿し餌以外はほっておかれていたのだから、ひどい話だ。しかし、三日目くらいの晩であろうか。夫と会話していて話の中で「ごろう」という名前がでたとたん「じょー」と段ボール箱が鳴いた。その時は「目が覚めたのかな」くらいにしか思わなかったが、また、「ごろう」という言葉のところで「じょー」。(私)「これは自分の名前が分かっているんじゃない?」(夫)「まさか」「ごろう? 」「じょー」。「るり? 」「・・・」。
「ごろう? 」「じょー」
なんて頭がいいんだーっ。その頃は男の子か女の子かわからなかったけど男の子を確信した瞬間だった。次の日からは頭を上下にしながら「ごろうちゃん」千本ノックを連呼しはじまめた。
かわいい。
それによく見ると、白オカメと違ってパゲはない。目もつぶらで真っ黒。性格もずっと人なつこい。なにより、かしこい。
かわいくてかわいくて仕方ない。
ヒナ換羽がおわってりりしい男の子模様に爆誕するのを待つまでもなくわたしはノーマルオカメインコにすっかり惚れ込んでしまったのでありました。
今は昔の物語。
[目次]
ある朝、さしエサをしようとして、ごろうがいつもと違う様子なのに気が付いた。
じょーじょーと鳴いて食事をしたがるのだが、餌は咳とくしゃみではきだされてしまう。鳴き声も昨日までの声とちがって苦しそう。明らかに病気である。しかし、その日は行きつけの横浜のグローバル動物病院の休診日だった。仕方ないので、わたしは近所の動物病院で紹介された吉祥寺駅からタクシーで五分の小鳥の病院(以後仮名で悪魔の病院とする)に、急いでごろうちゃんをかつぎこんだのだ。
しかし、その病院は・・・。その病院では院長が出張中であるとかで、年のころは70才くらいのその母であるというババア (おっと失礼) おばあさんが、女医然と君臨し、実際の診療は二十代と思われる若い女性が行っていた。入るなり、「うちの方針に従う人以外はみれない、まずこれを読め」と分厚いコピーの束をわたされた。ごろうちゃんを速く診て欲しいので三十分で読み終わると、「そんなに速く読み終わるはずがない、心をこめてよんだのか」と叱られた(バカヤロあたしは腐ってるけど大学講師だよ。日本語のもの読むのにそんなに時間かかるかよ〜)そのコピーには、「飼い鳥は自然の鳥と違って長距離とばなくて肺機能が弱いので慢性気嚢炎状態である。これは一生直らないから、人間は温度の調節に気を使い、定期的な健康診断を欠かしてはならない。望ましいのは40万円のインキュベーターを買うことetc.」と書いてあった。
結局診てもらえたのは三時間後であった。
その間、何人かの常連の患鳥をつれた飼い主の方がお見えになったが、そのババアは若い女医を後目にべらべら一人でしゃべり、なおりかけた鳥には恩を着せ、それ以外の客には入院をすすめていた。大半のお客は4万から12万の支払いをしていた。かかってくる電話にも、その老婦人がとっていた。その一例をあげると、若そうな人の電話に対しては
「あなたお声の様子では大変お若いようだけど、責任をもって鳥の面倒がみれるの? この前きた若い飼い主は、勝手に鳥を退院させて、治療費を払いしぶったんですよね。治療費の負担ができる親御さんとかにもう一度電話をかけさせてください。」このあたりから、私は大変なところにいることに気づき始めた。
さて、やっとごろうの番がきた。するとババアは「あなた、この鳥トリコモナスですよ、今死ななくても確実に二ヶ月以内に死にます。治療費が払えるなら入院させなさい」とのたまうではないか。わたしはごろうちゃんが助かるならいくらかかってもいいと思っていたが、この依存鳥をたった一羽で入院させることには抵抗があった。しかも「治る治らないはその鳥に備わってる体力次第であり、入院しても助かるかどうかはわからない」という。その上、入院中は飼い主でも「決まった時間に一日十分間しかあうことができずさらに、最低三ヶ月は入院しろ」とのこと。相談のために夫に電話をかけようとしたら、都内であるにもかかわらず、「病院の電話は外からのお客様のためにある。外にいってかけろ」と言われた。ババアめ。今思うと逮捕されても一発くらい殴ってやりゃーよかったぜ。しかし、その時夫はつかまらず、入院するかしないかは私の判断にたくされた。自信を失っていたわたしは、ほとんど気持ちは入院に傾いていたが、その時である。
外からの電話が入った (今思うと天の)。ババアが受話器をとり相手を確認すると、こういうではないか。「入院されていたあなたの鳥、今朝落鳥しました。引き取りにきて代金の精算にきてください。かなり病状が進んでいたんですね〜」わたしは、この電話で決心がついた。入院させずクスリをもらって家で看病しようと。入院しても助からないというなら病院で一羽で死ぬよりも、家で看取った方がごろうも喜ぶ。わたしは泣きながらごろうちゃんをつれて家路についた。(なみに、悪魔の病院に行ったのはこの一回きり。以後行ってない。)
[目次]
悪魔の獣医からごろうの命があと二ヶ月の命と宣告され、職場の夫とも連絡がつかないまま、哀れな飼い主は海よりも深い不安を抱えながら、ごろうちゃんを抱えてとぼとぼと片道一時間の家路についた。
家に帰ると悪魔に言われた通りに、インバーターを最強にして、ごろうが休めるように一鳥にした。一人になるといろいろな思いが頭をよぎる。
夫はその夜とあるパーティに出席していた。このパーティの主催者は○○といい、この男にのせられて夫は昔からマックの上で使えるチベット語のフォントのデザインを無償で (ここ強調) 行っていた。母が末期癌でもうあとわずかという、わたしが一番心細い時にも、夫はこの男との仕事の関係でフランスにいた。そして今また、わたしが最も心細くて側にいて欲しい時に夫はあの男のパーティにでている。ここまで思考がいきついた時、わたしの不満はマックスにまで高まっていき、折しも帰ってきた夫に、○○とその仕事とそれにかかわった夫に対して、その複合した不満をカメハメ波のようにぶつけた(よく今まで逃げられなかったぜ。)。
夫はいつものようにそれを聞いてるんだか聞いてないんだか分からない顔でやりすごすと「とにかく医者に言われた通りにしよう」とのたまった (他に言うことはないのか! )。
この日から数日、わたしは食事が喉を通らなくなり、無理に食べると吐くということを繰り返した。これは母の臨終前後と全く同じ状態であり、どうも「大切なものが失われる」という不安感から全身がシステムダウンをしているということらしい。こうゆう時、わたしは自己防衛のため人として最低のモードに入る。つまり、「最初からこの人 (鳥)はいなかったんだ」と思うようにするため、できるだけ顔を見ないようにするのだ。悪魔の病院が朝・晩の挿し餌の時以外は鳥をやすませろ、といっていたことも己を正当化させるのに役立った。わたしはごろうの世話は夫にまかせきり、一人エヴァンゲリオンのビデオを無気力に見続けた。母の件以来、すっかり不幸慣れしていた私は、夫が「ごろうちゃんずい分元気になったよ」などといっても全く信じなかった。
その三日後、行きつけの病院に行くと、先生は「トリコモナスではない、この鳥が育たないなら、他のどの鳥も育たない」と言ってくれたが、それでも、わたしはあのババアの呪いでごろうちゃんは二ヶ月以内に死ぬと思いこんでいて、まったく信じなかった。 (私はA型なので一秒も考えずにネガティブな方を信じる)。
さらに三日後、夫の出張ではじめてごろうと向き合わねばならなくなったが、喜んでいるごろうの顔を見ても、悪魔のババア医者から「鳥は人の前では病気を隠す」と教えられていたので「ああ、騒ぐと体力を消耗するよ」と不安になるだけだった。それ以後はわたしがつききりで面倒を見るようになったが、餌のくいつきは悪く、毎日量っていた体重は日に日に下がっていった。これが、末期癌の母が日に日にやせていった記憶とダブリ、わたしの絶望感はさらに深くなった
ある朝起きてみると雪が降っていた。わたしは、「あと一月の命のごろうちゃんにとってはこの雪は始めての雪で、最後の雪だ」と思うと、不憫で不憫でしょうがなくなった。そこで、保温をきちんとしたキャリーに入れて外を見せてあげた。ごろうは始めてみる雪に目を丸くしてびっくりしていたが、興味を持っていたようだった。それからわたしは「これが最後だから」を口癖にごろうのキャリーを持っては、ビルにのぼって地上を見せてあげたり、公園につれていって桜をみせたりした。また、喜ぶので音楽をきかせてあげた。 桜? そうです。その頃はもうとっくに二ヶ月は過ぎていました。音楽? そう、ごろうちゃんは女性ヴォーカルのノリのいい曲が好きで、ある日、広瀬香美の「ウィンターソング」をかけてみると「揺れる、回る、ふれる、切ない気持ち・・・」のフレーズにあわせて、周っていました (意味わかってんのか?)。ああ、なんて不憫なんだろう・・・・。あんなに嬉しそうな顔をして・・・。とかなんとか思っているうちに半年がたった。
何かボディにシマシマの羽根が生えてきました。それもああっとゆうまにはえ代わり、今度は顔に黄色い羽が生えてきました。「 やっぱり男の子だった。でも、あのババア医者の言うとおり、早いか遅いかの違いはあっても結局は死ぬんだ。」水分過多便と投薬が続いていること、体重も80g前後から増えないことがその頃わたしの「死ぬんだ」の根拠であった。(ちなみに、行きつけの横浜のグローバル動物病院では、ずっと大丈夫といわれ続けていた。)
そして、十一ヶ月たった十月。「かめりんず」というオカメインコ狂いの集まるMLに入った。そこで知り合った方から、悪魔のババア獣医の正体を聞くに及び、わたしはブチ切れた。その病院は、今複数の人から訴えられているそうで、その理由とは、珍しいインコをむりやり入院させ、どこかに売り飛ばしたとか (病院では死んだと主張)、本来免許を持っている獣医師 (ババアの息子)はすでに死んでいて、ババアは機材がもったいないから、死んだのを隠してアルバイトの獣医を雇っているとか。聞くにたえない内容・・。
だまされたあああああ。徐々に大丈夫ではないかと思い始めていたとわいえ、十か月に及ぶわたしのストレスの日々をどう落とし前つけてくれるんじゃ。激ヤセしたんだぞう。しかし、冷静になった今考えてみると、ごろうの水分過多便も体重減も、餌の切り替え時におきる一時の現象として解釈できる。つまり、トータルにみれば、この一年のわたしの状況は、始めての子供をもって右往左往する新米ママのただの育児ノイローゼじゃあ、ありませんか。くくくく。
[目次]
ごろうちゃんにものごころがついた頃、わがやには、すでに茶トラのるりおねえさんと、ハルクインセキセイのさきちゃんとみきひさ君のホモカップルがいた。当初、ごろうは挿し餌をしたわたしたちを「おや?」と思っていたので(おやじギャグ)あまり彼らには興味を示さなかった。また、セキセイは荒鳥だし、るりも前のオカメの時に鳥はおそわないようにしつけているし、十四才で大智慧もついているしで、あまりごろうとの同居を心配していなかった。
おこちゃまごろうのカゴは、鳥であることを自覚してもらうためにセキセイカップルの隣におかれた。そのため、ごろうはセキセイの朝なき、夕なきを毎日聞いているうちに、すっかりセキセイインコと同じ(ボリュームは大きい) 遠吠えをするようになり、オカメ共通語はほとんどしゃべらない。
中ビナの頃、ごろうはカゴからでると、そこにいる人の肩を順繰りにめぐりあるいた。彼の好みは動きのある人のようだ。
これはるりについても同じで、るりが「トイレ」とのそっとおきあがって、庭にでようとすると、ごろうはすかさずその背中に「ひらっ」とまいおりて、一緒にでようとする(これはシッタールダ太子、愛馬カンタタに乗って出家するの図と呼ばれていた)。その度、わたしは雑巾をひきさくような悲鳴をあげてごろうをとめたが、あまりにたびたびそのようなことがあったのでネコの出入り口にはカーテンをつけた。逃げないおまじないに柄はぺんぎんにした。
るりは、当初こうるさいノーマルオカメを無視していたが、気持ちよく寝ていると「ふかふか〜」とお腹の上にかけあがられるし、ツメをわられかけたりするしで、そのうちに、もともと陰険なねこ眼がさらに陰険になってきた。何より彼女を怒らせたのは、わたしの豹変ぶりであった。朝から晩まで鳥と歌ったり踊ったりしているので、前のようにお膝にゆっくりのってくつろ ぐこともできなくなった(ごろうが肩から容赦なくフン○をおとすし)。また、雑菌がごろうちゃんに悪いとからとかで、なでてもらう機会もめっきりへった。飼い主の気付かないところで、るりのストレスはたまっていった。
ある日、るりは暖房機の真上の定位置の毛布の上で、いつものようにバクスイしていた。すると、同じく暖房機の前を定位置とする怠け者のわたしがその前にねころがって読書をはじめた。その体の上には、もちろん、ごろうがいた。ごろうは体から足の先まで歩いていくと、るりの寝ている台のふちをが〜りご〜りとかみはじめた。母は気にせずごろうのとまった足をゆ〜らゆ〜らさせて機嫌をとっていた。が〜りご〜り、ゆ〜らゆら。ば〜りぼ〜り、ゆ〜らゆら。母とごろうにとっては、いつものへだらな日常であったが、るりにとっては忍耐がきれ臨界に入った瞬間であった。
バシッという音とともにごろうが狂ったように部屋を飛び回りだした。見ると、寝ていたはずのるりが台のふちにすわっている。一瞬のうちにるりがごろうを殴ったことが了解された。
わたしの頭の中にまがまがしい記憶がよみがえった。かつて、侵入した野良ネコにセキセイがくわえられたことがあり、もちろん病院にすぐつれていき、抗生物質をうってもらい、大した傷もなかったことを確認したのに、徐々によわって三週間後に落鳥してしまった。鳥は繊細なので、傷が小さくても雑菌が体内に入れば死んでしまう。
ヒマラヤの頂上でわかす茶よりも沸点の低いわたしは、怒りで頭が真っ白になり、気が付くと、るりを殴り倒していた。そして、ごろうがひとまず落ち着いて着地するのをまち、おそるおそる、もし何かあったらそこが傷ついているであろう頭を子細に調べてみた。傷はなかった。どこも痛がる様子もない。るりが寝ていた台のあつさが四センチ程あったのでその真下をかじっていたごろうの頭に、るりの掌はとどかなかったのだ。よかった〜。
わたしは今更ながらにネコと鳥の同居の危険を思い知った。いくらクールなネコでも飼い主の愛情が離れれば、その対象を憎いと思うのは自然の感情である。さらにネコのこのむ静かな環境が破られれば、そりゃ〜きれますわな。わたくしは、以後、深く反省して、いつもにもましてるりをかわいがるように気を付けるようにした。
すると、クールなるりも犬のように飼い主の愛情をもとめるネコになってしまった。暗くなってごろうがカゴにはいってお休みすると、るりはうっそりとおきあがってきて「遊んで。これからは私とだけ遊んで」と訴える。そこで膝にのせたりなでてあげたり散歩をしたりして遊んであげると、満足して寝に入る。ネコでも鳥でも人間と密着すると愛情がないと生きていけなくなるんだなあ。人間も因業なものよ。とるりとごろうを見るとつくづくそう思う。
今ではるりもすっかりよいお姉さんになり、それほどごろうを毛嫌いすることもなくなった。ごろうもるりが相変わらず好きである。自然界ではありえないこんな風景も因業な人間が環境破壊した結果だなあと思いつつも、「これは種の本能をこえた愛のパラダイスである」と理論武装 (言い訳ともいう) をする今日このごろであった。
[目次]
ごろうを我が家にお迎えする前までは、わたしはひどい不眠症だった。睡眠薬はもちろんのこと、寝酒、民間療法、スポーツクラブ、瞑想と、なにもかもためしてみたが、なにひとつ効かなかった。きっちり午後十時に布団にはいっても、二三分ウトウトしてもすぐに眼がさめ、やっと寝入った明け方には、鳥のなきごえ、新聞配達のバイクの音や犬の散歩の鎖の音で完全に目が覚めるという悪循環を繰り返していた。睡眠不足がまねく体調の不良と精神の混乱は、当然のことながら、毎日を暗い無気力なものにかえていた。
しかし、ごろうがうちに来てからは不眠症はころっと治ってしまった。理由は簡単だ。悪魔のババア医者に「ごろうは二ヶ月で死ぬ」と予言され、つねに落鳥をおそれていたため、ごろうが朝鳴きをはじめるとほっとして寝付けるようになったのである。つまり、今までは音が眠りを妨げる原因だったのが、今度は逆に音そのものが安心のもとになったのだ。こうなると朝の鳥の声、バイクの音、犬の散歩の音も気にならなくなる。ごろうの朝鳴きは、はじめはねぼけてて静かだが、目が覚めてくるにつれてだんだんテンションがあがってきて夫がおきる時間になると血を吐くような大声の「ぴょ、ぴょ、ぴょ」になる。それを聞くといてもたってもいられなくなり小鳥部屋にかけこむとごろうをだしてあげて遊ぶようになってきた。
不眠症の頃は明け方少し寝て午後昼寝という形でなんとかもたせていたが、自然の時間にあわせて起きたり寝たりするごろうにあわせているうちに、わたしの方も普通の時間に起き、常識的な時間に寝れるようになってきた。睡眠リズムが戻ってくると体調も上向き、気分も明るくなる。その原因をつくってくれたごろうは、そうでなくても可愛いいのに、もう可愛くて仕方がなくなってくる。わたしの精神は完全にごろうに依存しきっていった。
ごろうが我が家にきた翌年、わたしはごろうの世話を夫にまかせて中国に三週間ほど滞在したことがあった。宿のホテルは自宅よりはよほど静かな無音状態だったが、日に日に睡眠リズムがくずれていき、最後は元の木阿弥の不眠症になってしまった。このことからも、わたしの精神の平安にとってごろうが大変な役割を果たしていることは明かである。*(仕方ないので中国滞在中は、毎朝夫に国際電話をして、ごろうのプリティな「もしもし」を受話器越し聞いて精神の平衡を保っていた。)
一方のごろうであるが、これもまたオカメインコのご多分にもれず依存鳥であった。彼は甘やかされて育ったこともあり、人の姿が見えないと安心して寝てくれないのである。鳥という生き物は、朝方と夕方の餌をとる時間以外の大半は寝ているものである。したがって、朝ひとしきり遊んだごろうを休ませようと駕篭にいれるのだが、ごろうは人間をもとめて泣き叫び、寝てくれない。仕方ないので駕篭からだすと、こちらがどんなに動いていようとも肩にとまって寝てしまう。かごから出す=活動的になる かごに入る=休むというのが正常なあり方だと思うのだがごろうの場合、これが全く逆になってしまった。
飼い主といい勝負である。
わたしは日中家をあける時はごろうのことを心配しつづけ「ごろうちゃんどうしているだろう」「鳴いてやしないだろうか」とうわごとをくりかえし、一方のごろうは、駕篭にいれられると、置いて行かれることを悟り、気が狂ったように泣き叫ぶ。恐怖の共依存体系である。
しかし、ごろうはじょじょに成長していった。現在は駕篭だしタイムと駕篭いりタイムを体で覚えてくれ、日中に人を求めて血を吐くような遠吠えをすることはない。しかし、一方の、飼い主の方は今でもまったく成長がみられず、今もあいかわらず、うわごとを繰り返している。
[目次]
ごろうちゃんが最初に覚えたのは自分の名前だった。次に覚えたのは電話のコール音だった。彼は病気療養中はインバーターをつけっぱなしにした部屋で一人でいることが多かったため、彼の耳に入るのは近所で買われているヒヨドリの声と電話の音と外の工事の音くらい。そして彼はこの中から機械的なコール音を選んだのだ。電話のコール音はおそらくは遠くまで聞こえるように合成されたものだから、あるイミで鳥の鳴き声と通じるところがあるのかもしれない。
絶対音感オカメごろうは、音程まできちっとコピーしていたので本物とまったく区別がつけられない。わたしがコール音をまねた口笛をふいてゴキゲンを取っても、それは彼には同じものと認識されず「おヨヨヨヨ」という別のちがった情けない音程で復唱されることになった。
感心したのは、電子レンジのスイッチの「ピッ」とかトイレの水を流したさいの「ドシャー」とか電話の受話器をあげれば、もう一つの「もしもし」とか牛乳パックをゆすぐ時の震動音とかがみんなそれをその音がでる瞬間にそっくりに再生することだ。つまり、彼は人間の指の動きとか足の下にある肩の筋肉の微妙な動きとかを自分で判断して、「その瞬間」にならしているのだ。
彼は気に入った音がつづくとハイになり自分の名前を「ごろちゃんごろちやんごろちゃん・・・」と連呼しだす。そして、タメの多い能役者のような陰気な踊りがはじまるともう絶好調。とてもかわゆい。
いきおいわたしたちは「ほらっごろちゃん髭そりだよ」とか「包丁とんとんよ〜」とか端から見たらただのバカとしか言えないような言葉を口にしながら家事をすることとなる。客観的にみりゃあただのアホだが、主観的にはあたりまえの日常生活がとても楽しい。
オカメは口笛をよく覚えてくれるという話を聞いたので口笛もふいてみた。おなじみの「鳩ぽっぽ」であるが、最初のうちは完璧だった音程が次第に北関東なまりのように平板になり最後は変い長調のオリジナル曲になった時には笑ってしまった。誰にきいてもオカメのマイソングはものがなしい変イ長調だという。オカメのキャラクターと合わない。また、CAP で買った「あなたのオカメちゃんを訓練しよう」(Trainning your cocktiels)CDを聞かせてみた。これは、口笛でスタンダードナンバーのサビだけ (ここ強調) をエンドレスに四分間ずつ録音したものである。しかし、これはあまりうけず、人間が聞いていると分裂症になりそうだったこともあり、すぐにやめた。
ところで、夫は鼻づまりの蓄膿症 (本人は鼻炎を主張)であるため、昼には森本レオのような鼻にかかった美声を、夜には家畜のようないびきを自慢としていた。このようなタイプの人のくしゃみはものすごいもので、どんな遠くにいてもそれと識別できる。ある日のこと、うちの夫がくしゃみをする時にごろうが一緒にくしゃみをしていることに気づいた。もちろん体のサイズが違うのでまったく同じ音とは言い難いが「どわっくし」とかゆっている。それを聞いたわたしは「汚いくしゃみするのやめてよ。ごろうちゃんがマネするじゃない」と言うと
夫は「じゃああなたは何よ」といい返してきた。「なにを〜、わたしがどうしたって言うんだ!」夫「あなた、歯を磨くときよく、おえっとなるでしょ、あれごろうちゃんマネしてるのよ」とゆう。*(解説しよう。わたしは胃が大変に弱く、強い薬を飲んだり、心労が続くと荒れてきて歯を磨くとき、歯磨き粉の揮発成分に「おえっ」とくるのだ。)
そういえば、歯を磨いていると肩にのっていたごろうが「ぎょえ〜っ」と尾を引いた叫び声をあげることがあったなあ。あれは「おぇ〜」だったのか。ああ納得。ってキタナイって。
そのうち、歯磨きの時ごろうが肩で「ぎょえ〜っ」と言うと、胃がなんともなくてももらいゲロをしそうになる飼い主は誰がみてもアホであった。オカメインコは飼い主がいかほどの存在であるかを気付かせてくれる鏡である。
[目次]
私には日本野鳥の会関係者の知り合いがいる。ごろうのHPを開いた時、無理やり彼の部屋に乱入しブックマークに登録してやったが、これはまずかった。以来、ごろうとわたしの関係に何かと批判をしてきやがる。
いわく「ボクは生き物を「飼う」ということには賛成できない」その理由としては、一つには日本のペットブームが世界の貴重種を激減させている(国内産と偽って実は天然モノを捕まえているとか)。二つには、彼らが本来有している本能を人間との生活がこわし繁殖能力・心肺機能その他が低下させている。三つ目には、ペットにするために外国から輸入された動物が逃亡し野生化すると、日本の生態系を乱す(例←タイワンリス、アライグマ、ワカケホンセイインコ)。四つ目。そもそも、人間の価値観(カワイイ・カワイクナイ) でいきものを差別化するのはよくない。すべてのいきものは自然界の中ではたしている役割がある。それを人間の都合で増減させるのはよくない。
ううむ、どれももっともな批判。人は自分の痛いところをつかれると怒るものである。相手のいうことをへとも思わなければ怒りもわかない。哀れんで無視するからだ。しかし、わたしは激怒った (最初から負けやん)。
そこで、苦しい理論武装。一つ、オカメインコは国内産がほとんど。アウトバックで時速140キロで飛ぶ群を捕まえて輸入しているはずがない。二つ、おお、できる限り鳥らしく育てたろうやないか。でも、今は子供だから、もう少しからだがしっかりしてきて五歳くらいになったら、手乗りでない女の子を見つけて巣引きするもん。うまくいくこともあるそうだもん。生まれたヒナは手乗りにしなきゃいーだろ。監禁生活が可愛そうというなら、今にアウトバックにセカンドハウス買って、だんだんおそとにならしていって気が向いたら群に帰られるようにするもん。ごろうのためだったらいくらでも使うもん。←かなりマジ。三つ、オカメインコは軟弱だから、人間を離れては生きていけない。野生化するはずないじゃん。四つ、じゃあ、アナコンダとかトカゲとかエイズ菌とかかってふやせばいいのか。
とまあどんどん苦しくなる言い訳をしつつも、やはり気になるのは、繁殖能力の低下であった。人間との生活でごろうが種としての存続をたたれるならそれはどう言い訳をしても、彼の鳥生を侵害したことには変わりない。
このような飼い主の苦悩を知るよしもなく中ビナごろうは今日もフィルムキャップをかじったりしつつヒナヒナな可愛さをふりまいていた。母はそれを見つつ「まだ、子供だし先のことは先に考えればいーや。オカメは三十年生きるというから、この子の思春期はきっと五年後くらいよね」などと、問題先送りまるだしの姿勢をあらわにしていた。
そしてある五月のある日(生後七ヶ月?)のはれた日のこと、わたしはいつものようにパソコンでお仕事をしていると、ごろうがわたしの組んだ足の上にとまって下に降りたそうにしている。「降りるの?」といって畳におろしてあげると、また足の甲によじのぼって腰を低くする。
も・し・や !
なんとわたしがまだ小学校五年生くらいかな?と思っていたごろうがすりすりをはじめてしまったのだ。これは小学校五年生の子供のベッドの下からプレイボーイを見つけてしまったくらいの衝撃をわたしに与えた。はやい、早すぎる。
そして生後二年目からはじまった巣作り。
ごろうはわたしのベッドの下に設置した亀屋万年堂の箱を巣にすることにきめたらしく、そこに毎日もぐりたがる。彼が見張り足として認めてくださった右足はつねにその側に置いておかねばならない。
わたしが布団にはいっているとまず、「足をだせ」といわんばかりに唇、顎、耳などの布団から露出している部分に強い指導が入る。これは右足を布団からだしてあげるまで続く。そして、だしてあげると、ひらっと床の上の基地の前に舞い降りて、今度は「基地の側におけ」と、また足に強い指導を入れる。足をおいてあげると、
「きょーっ」
という喜びの声をあげて、基地に走り込んで自分の世界へ。時々、嬉しくなるのか、「きょーっ」といい、その時はかすかにみえる尾羽が開く。とてもカワイイのだが、そのままで動かない体勢はつらくてならん。そして、ここからが大変なのだが、彼が巣から顔を出すたびにちゃんと視線を合わしてあげないと怒るのだ。彼は、手前から顔をだすとその次は向こうから顔をだす。そのたびに視線があることを確認しなければ、また、強い指導が右足にくる。これはわたし(の右足)を巣作りのパートナーと思っているとしか思えない・・・・。
脱力。
はやくも二つ目の批判が効力を有してきたことに気づかざるをえなかった。よく考えてみれば、彼の求愛のよびかけは電話のコール音。ダンスはアンヨをあげつつ「おいでっ」と手招きする人間仕様。どう現実をねじまげて解釈しようともごろうの人間化は果てしなく進行しつつあった。
人間と人間以外の生き物が一緒に暮らすということはいずれにせよ人間の側にものすごい原罪があるのだなと、いまさらながらに思い知る。その後ろ暗さから、ごろうを甘やかし続けたが、それも彼にとっていいことかどうか。
人間とオカメインコのよりよい関係とは一体何なのか。どちらのためだけにも偏らない両者にとって幸せな道とはなんだろうか。そもそもこのようなテーゼに答えはあるのであろうか。どうしたら、彼は子孫が残せるだろうか。いやまてよ、彼が人間化しているのなら、人間なみの知力、すなわち、客観的認識力だってもてるはずだ。つまり、彼がもっと大人 (人間) になった時、その知力で同類の女の子を本能ではなく理性から同類とみなして子供を残すために結婚するということも考えられるのではないか。今のところ、わたしはこの考えに一縷の望みをつないでいる。
[目次]
ごろうがのヒナ換羽がおわったころから、私の暴走ははじまっていた。完全に舞い上がっていた。「この可愛さを一人でも多くの人に伝えねば」(*冷静に考えれば、なぜ?)との思いに毎日悶々としていた。
そこに、コンピューターオタクの夫から「HPでも立ち上げてみたら?」との一言が。(彼はホームページ作成ソフトを試してみたかっただけ)
ごろうちゃんをお迎えして以来、わたしはオカメインコと名のつくサイトを精力的にまわり、とくに、海外ヤフーでCockatielと検索してはオーストラリアのマニアのページをまわり、情報集めにおさおさ怠りはなかった。それだけに、目も肥えていたため、今更、技術的にも未熟で情報ももってない自分が、下手なページをたちあげても誰もみてくれやしないとも分かっていた。そのため、最初は夫の提案を即却下したが、ごろうちゃんのカワイさを一人じめするのは犯罪ではないか、HP作成ソフトは日々簡単になっていくではないかと、「HP開きたい」病は主観的には高まってきた。
やはりやってみたい。
そこで、アタマをひねってみた。私にしかできないこと。まず、単純なペット自慢のページでは1000人を超えるのは難しい。ニューヨーク在住の「ぴぴちゃん」のページのようにアメリカ情報などが特化されていればいざしらず、日本の市井のオカメ飼いのフツーの日常なんか誰もききたかないだろう。しかし、わたしには確か本業があった (忘れるなよ)。
こっちの方はまだ希少性がある。そうだ、「チベット文化の紹介ページと銘打って人を集めてうちのごろうを見せたれ」との腹黒い結論に到達。
早速デジカメを購入してごろうの写真をとりまくり、ナビゲーターと称してページのあちこちに配置。チベット情報だけ食い逃げすることをふせぐために、啓蒙マンガはすべてキャストをうちの子達で固めることにした。そう、専門の情報はあくまでも人寄せの撒き餌であり、動機はあくまでも純粋にごろうの可愛さを一人でも多くの人におしつけがましく見せるところにあったのである。
しかし、いったんページを開いてみると、募集もしてないのに専門の質問が予想以上に多くくる。最初は「お客様」と思い丁寧にこたえていたが、しまいにゃ面倒臭くなり「ごろうちゃんカワイイですね」という枕詞の入っていないメールは、コミニュケーションのできない失礼なオタクとして即刻無視することにした。
そろそろ疲れてきたところに2000年初頭のカルマパ報道である。アクセス数がいっきに一万をこえ、インターネットをみた報道各社からじゃかじゃかTELがかかってきた。こいつらはすべて撒き餌だけたべてぜんぜん網にかかっこない東京湾のウマヅラハギである。カンベンしてくれ。チベットという土地柄からか電波系のメールまで入りはじめるにいたり、私の忍耐はきれかかってきた。
一番頭にきた例 → 年初めに景気よくと思ってチベット国旗にごろうを合成したら、失礼なバカガキから「国旗にネコとか鳥とかはりつけるなんてまじめに独立運動している方に対して失礼では」とかいうメールまで頂戴した。説明するがチベット人は輪廻思想を固く信じているので「ネコとか鳥」などという失礼な感覚はない。それに、わたしの今までの活動を知っている人なら、私に対してそのような感想をもつはずがない。余計なお世話である。ものを知らない癖に偉そうに説教するな! わたしはこのメールに怒りくるい「掲示板を開いて、一日、15人以上ごろうちゃんがカワイイという書き込みがなければ、このページを閉鎖する」と激高した。
すると、夫いわく「この前テレビで、ブラジルのサッカーの神様ロマーリオが父親を誘拐された時、何億か要求されたら、犯人グループにむけて「親父を返さないと、ワールドカップにでてやんないぞ。俺はロマーリオだ!」と宣言したらしけど、それみたいね。」とトホホなフォロー。
しかし、よく考えてみると、サイトを開いたことでいいこともあった。ネットを通じてたくさんのオカメのお母さんたちと知り合いになれて、情報交換や気分転換ができた。ネットを通じて入ってくるごろうへの暖かい言葉はわたしの力の源にもなっている。それに何より、ごろうはパソコンやデジカメを愛している。パソコンまわりのコードは絶縁テープでミイラ状態であるし、カメラにいたっては電子音がしたとたん飛びつくのでとることすらできない。
まあ、このサイトを開いて不愉快な思いも一杯したけど、少しはいいこともあった。もう少し続けてみるか。ごろうが我が家に来てから四年目に入る本日とつおいつそんなことを考えた。
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