※訳者注記
以下に訳出したのは、ゲルク派の開祖ツォンカパが、菩提への道の根本要因となる三つのもの、すなわち輪廻から抜け出したいと思う出離の心、一切衆生を救うために自分が努力して仏になろうと願う菩提心、物事の正しいあり方としての空性の理解、これらを求めるように進めた詩である。訳文のみで理解できるよう、(= )に容れた注記ゃ〔 〕に容れた補記をできるだけ付けた。また、チベット語特有の表現は必ずしも直訳せず、分かりやすさを優先して意訳した箇所も多い。
【2009年11月8日改訂】
至高のラマたちに帰命します。
【序】
勝者のすべてのお言葉の真髄であり、
最勝の仏子(=菩薩)たちが褒め讃える道であり、
幸運に恵まれた解脱を求める人たちが〔解脱に向かう〕入り口である〔道の三種の根本要因〕を
私の能力の及ぶ限り説明しよう。
輪廻の中での安楽に執着することなく、
〔仏道修行に励む〕時間と幸運に恵まれた境遇に生まれたことを意義あるものとするために努力することによって
勝者(=仏)を喜ばせることのできる道に信心を起こしている、
そのような幸運に恵まれた人よ、清浄な心で聞いて下さい。
【出離の心を起こす】
輪廻から出離したいという清浄なる心〔を起こすこと〕なくしては、輪廻という大海の
〔一時的な〕快楽の実現を求める欲望を鎮める方法はない。
輪廻の生への執着は身体を有する者たちを
〔輪廻の輪に〕あらゆる面で縛り付ける。それゆえ、まず最初に輪廻から〔抜け出そうという〕出離の心を求めなさい。
〔仏道を学ぶことのできる〕環境と境涯に生まれることは難しく、また〔そのような境涯に生まれたとしても〕一生は〔短く、無駄な時間の〕余裕はないことを
心に繰り返し刻みつけることによって、この世に対する目先の欲望を退けることができる。
また〔いかなる〕行為もその果報は不可避であること、そして輪廻〔におけるそのような果報は〕すべて苦しみであることを
繰り返し心に思い描くならば、来世を恃む目先の欲望を退けることができる。
そのように繰り返し心に刻みつけることによって、輪廻の中での幸福を
希求する心が一瞬たりとも起こることなく、
昼も夜も常に、解脱を求める心が
生じるようになるならば、そのときには輪廻からの出離の心が生まれたことになる。
【菩提心を起こす】
輪廻から出離したいというその心も、清浄なる菩提心を起こすことによって
支えられないならば、無上の覚りの
完全なる安寧を生み出すことはできないので、
知恵ある者たちは、最高の菩提心を起こして下さい。
〔執着と生存と無明と誤った見解という〕四本の河の激流によって押し流され、
退けることの難しい、業(=行為)の堅い縄によって縛り付けられ、
我執という鉄の網に捕らえられて、
無明という厚い暗闇に遍く覆い尽くされ、
果てしない輪廻に繰り返し生まれ、そこで
三種の苦しみ(*)に絶えず苛まれている。
このような状態に陥っている母達(**)の
有様に思いをはせて、〔かれらをその苦しみから救うために〕最高の菩提心を起こしなさい。
(*) 苦苦(痛みという苦しみ)・壊苦(変化することによる苦しみ)・行苦(因果関係にある一切のものにある苦しみ)
(**) 我々は無限の過去から繰り返し生まれ変わっているので、すべての衆生はそのいずれかの生では、自分の母親であったこともあるはずである。したがって、すべての衆生を自分の母親と思って、その恩深き母親を救おうという菩提心を起こすべきである、という意味では「母達」と言われている。
【空性の正しい理解】
物事の真のあり方を理解する優れた智慧を身につけなていないならば、
輪廻からの出離の心や菩提心に習熟しても、
輪廻を根本から断ち切ることはできない。
それ故、縁起を理解できるように努力しなさい。
何であれ、輪廻から涅槃に至るまでのすべての存在の
因果の連鎖は決して違う(たがう)ことはないと見て(=縁起を正しく理解して)
意識の向けられている対象一切が消滅した(=空性を正しく理解した)者、
かれは仏がお歓びになる道(*)に入ったのである。
(*) 仏は衆生を教え導くために道を説いた。それを弟子がお考え通りに理解し実践することが教師としての仏の喜びとなる。
現れている〔存在すべて〕は違うことなく縁起している〔と理解し〕と、
空は〔一切の〕断定的判断を離れていると〔理解しても、その〕二つの理解が、
それぞれ別々に現れている間は、
未だ釈迦牟尼のお考えを理解してはいないのである。
それらが交互に〔現れるの〕ではなく、同時に〔現れて〕、
縁起が違うことがないと見ただけで、
断定的判断が対象を〔実体的に〕把握する仕方全てが消滅するようになったならば、
そのときには、〔空性=縁起の正しい〕見解の探究は完成するのである。
また「現れ」〔すなわち縁起が空であることによって成り立つと理解する〕ことによって実在論的固執が退けられ、
「空」〔は縁起するものの本質であると理解する〕ことによって虚無論的固執が退けられ、空なるものこそが
因果(=縁起するもの)として現れるという論理を知るならば、
〔実在論であれ虚無論であれ〕一方的に固執する哲学的見解に捕らわれることは決してなくなる。
以上のように、道の三種の根本要因の本質を自ら、ありのままに理解したとき、
息子よ、閑静な場所に赴いて瞑想修行に努力しようとする力を生じて、
究極の願いを速やかに成就しなさい。
以上は、多聞の比丘ロサンタクペーペル(=ツォンカパ)が、ツァコポンボ・ガワンタクパに教えを述べたものである。