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ダライラマの非暴力思想(2008年3月15日)


 三月十四日にはじまったチベットでの騒乱に対して、中国当局はダライラマ14世が背後にいるようなことを言っているが、言うまでもなくピントのずれたお話である。

 ダライラマ14世は、中国政府の政策に対する批判は行うものの、チベット人に対してつねに自重を説いてきており、その言説は半世紀以上前からゆるぎない。

 1949年に新中国が成立した時、すぐにチベット「解放」を宣言し、1950年の10月には、朝鮮半島へは北朝鮮に味方する義勇軍が送り込まれ、同月に東チベットへの解放軍が送り込まれた。以後、解放軍の進駐過程、土地改革の過程、文化大革命の嵐の最中、チベットの僧院は徹底的に破壊され、僧侶は虐殺され、生き残りは亡命するか還俗するかの道を選ばされ、チベット仏教は壊滅状態になった。

 1959年にインドに亡命したダライラマ14世は、自らの守るべき民がこのような悲惨な目にあっている時でも、仏教の教えに基づき、「暴力はいけない、武力による報復はいけない」と説き続けていた。

 このようなダライラマ14世のお言葉に対して、俗人の知識人の中には、このような弱腰では祖国を取り戻すことはできない、と批判するようなグループもあり、70年代に、パレスチナが国連で議席を得ると、「国家をこれからつくろうというパレスチナですら国連に議席があるのに、国家であったチベットが国連で何らの地位も得られないのは、ダライラマ14世の弱腰政策にある」という批判が噴出した。

 それでも、14世は「暴力」はいけない、と説き続けた。14世はチベット人に「仏教徒である」(人である)というアイデンティティを失うことは、国を失うことよりも悲しいことであると見抜いていたのだ。

 1989年のチベット騒乱の時も、直接の契機は、ダライラマ14世がチベット独立をチベット自治に後退させたからである。

 怒り、暴力をふるう人々の気持ちもわからないことはない。尊敬する師僧を殺され、家も財産も奪われ、祖国すら失い浪々の身となった先の見えない状況で「心の平和を保て」「殴られても殴り返すな」(実際には殺されても・・・なんだけどね)と言われても、観音菩薩の化身ダライラマには可能であっても、凡夫には難しいものだ。

 でも、この貧しても鈍しないダライラマ14世の高潔さに、先進国の知識人は打ちのめされた。かの喜劇王チャップリンがガンディーの高潔さにうちのめされてファンとなったように、リチャード・ギアも、イギリスのチャールズ皇太子も、日本の鳩山民衆党党首も(笑)、世界中のセレブが、ダライラマ14世を生み出したこの精神文明を守るために、何かしたい、と思ったのである。 
 結果、チベットは大国中国を相手にして、国をうしなって半世紀以上を過ぎた今もなおそのプレザンスを失なわないですんでいる。ダライラマ14世の行動は総体的に見れば正しかったのである。

 最近の一連の事件によってチベット問題に興味をもった方は、ダライラマ14世が、どうしてもっと過激な声明をださないのか、と不審の念を抱いているようだが、ダライラマ14世は中国政府がもっとひどい虐殺や破壊を行っていた60年代ですら、非暴力を説いていたのである。14世の姿勢は、どこぞの国の政治家の言動や御用学者の研究やコメンテーターの発言とは異なり、とにかく一貫してゆるぎない。

 ダライラマ14世は政治家である前にまず仏教徒なのである。

 仏教をまもることこそが彼にとって一番の使命なのである。

 仏教においては、まず、何かに対して強い怒りを持つこと、何かにたいして強い執着を持つこと、の両方を戒める。とらわれた心こそが苦しみのはじまりだからである。だから、彼はもちろん中国政府の虐殺を非難するし、チベット人の「暴動」を認めることもない。

 しかし、一方でダライラマ14世は愛の菩薩観音菩薩の化身である。このアイデンティティにおいては14世はチベットの民をこよなく愛している。 

 チベット人は自らの歴史を観音菩薩の祝福によって始まったという神話をもつ。7世紀にチベットを統一した初代国王ソンツェンガムポ王も観音菩薩の化身であるし、17世紀にチベットのトップの座についたダライラマも観音菩薩の化身と信じられてきた。つまり、国の開闢以来一人の聖性がずーっとチベットを統治しているというのが、チベット人の歴史感覚なのである。

 ダライラマ14世はチベットを祝福する観音菩薩の化身として生まれ教育されてきたため、チベットの民を慈しむことを生理とされている。したがって、ダライラマを敬愛する人々は、このたびのチベット人の「暴力」とそれによる死者と、千倍返しの中国政府の「武力弾圧」をダライラマ14世がご覧になって、どれほど心を痛めているかを察して、みな暗い気持ちになっている。

 中国ももう少し考えてみるべきである。チベット人は軍事力にも社会主義思想にも従わない。チベット文明はこれまで、他者をとりこにすることはあっても、自分が他者の精神文明に同化した例は一度もないのだ。


 17世紀以後、チベットにはご多分に多くの宣教師が布教に訪れたが、彼らは布教の自由を得ていたにも拘わらず、少しも信者を増やすことはできなかった。それだけチベット仏教思想は完成度が高いのである。

 ましてや、社会主義のような底の浅い思想で、ソフィスティヶートされたダライラマの仏教思想(中観帰謬論証派)を洗脳することは不可能なのである。

 チベット人の知識人は軍隊で脅したり、道路しいたり、青蔵鉄道とおしたりしてみせれば、感心するような田舎者ではないのである。

 彼らは、ただ、この完成度の高い普遍的な精神文明を自分たちの生まれた地で自由に学び修行する、その自由をくれ、と言っているだけなのである。

 リチャード・ギアはチベット支援についてこう語っている。「我々がチベットを救おうという時、我々自身がよくなる可能性も同時に救っているのである。」


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