[メインページに戻る |]

ダライ・ラマ法王亡命半世紀によせて(『軍縮』2009年6月)


1.高まるチベットの存在感

2009年はダライ・ラマがインドに亡命してから半世紀、ダライ・ラマ14世がノーベル平和賞を受賞した1989年から二十年目という節目の年である。そのため、亡命社会では半世紀にわたりチベット難民を受け入れ続けてきたインド政府に感謝の意を表明するため、「ありがとうインド」というイベントが行われた。

 ダライ・ラマの亡命に遡ること九年前の1950年10月、中国軍は朝鮮半島と東チベットに向けて侵攻した。国際社会が朝鮮半島の共産化防衛を優先した結果、チベットは失われた。

  「チベットは終わった」 その時多くの人がこう口にした。 しかし、それから六十年たった今も国際社会におけるチベットのプレザンスはなお大きく、2008年アメリカの大手誌Timesは、「世界で最も影響力のある指導者100人」の堂々一位にダライ・ラマ14世を選出した。また、半世紀前よりずっと多くの人々がチベット文化を理解し、その存続を願い、チベットに自由が訪れることを熱望している。

 残酷な現代史はなぜチベットを飲み込めないでいるのか。

 チベット文化をよく知らない人々はしばしばこう考える。「欧米人がチベットを支援するのはオリエンタリズムに突き動かされてのこと」「フリー・チベット運動はつまるところ反共思想である」と。しかし、検討してみると、これらの主張にはまったく根拠がないことが分かる。 まずオリエンタリズム説の是非について検証すると、伝統的なチベット人社会は中国軍に追われて下界におりてきてからすでに半世紀たっている。その間、多くの人がチベット社会を直接目の当たりにし、そこがシャングリラでも桃源郷でもないことを知っている。また、ダライ・ラマもBBCやCNNのテレビカメラの前に立ち、かつてのような神秘のべールに包まれていない。ダライ・ラマ14世は我々と同じ言葉で語り、感情ではなく論理によって人々の良心に訴えている。とくに支援者たちほどチベット社会を熟知する立場にあるので、オリエンタリズムの介在する余地はない。

  また、中国に親しみを感じる人たちの多くはフリー・チベット運動を反共宣伝と決めつけるが、これも当たらない。ダライ・ラマは共産主義者や毛沢東がチベットに対してとった行動に異を唱えても、貧困や格差をなくそうという共産思想や毛沢東のリーダーとしての性質に対してはつねに最大限の賛辞を送っている。ダライ・ラマの言葉を聞いてみればわかるが、彼の言葉はつねに事実に基づいていて、その内容は論理的であり、いわゆる反共プロパガンダ臭はみじんもない。  では、世界中で多くの知識人がチベットを支援している理由は何だろうか。それは人々がチベット人たちの半世紀にわたる生き方を、彼らを生み出した文化を知るにつれて、それらを残したい、いや、残すべき、と強く感じているからなのである。  

2.ダライ・ラマの三つの立場  

  多くの人々が普遍的な価値を見いだしているチベット文化は、広く欧米においてチベット文化を講義しているダライ・ラマの言動から理解するのがもっとも早道である。ダライ・ラマの言動を扱う時注意せねばならないことは、彼が状況に応じて三つの立場を使い分けていることである。この三つはダライ・ラマの公式ホームページに掲載されており、20歳の頃からダライ・ラマと親交を結んでいるコロンビア大学のロバート・サーマン教授によっても解説されている(『なぜダライ・ラマは重要なのか』講談社)。

   三つの立場のうちまず一つ目は「一人の人間として」の立場である。この立場からダライ・ラマは誰にでも分かる言葉を用いて、賞賛されるべき心のあり方、すなわち、他者を哀れむこと、許すこと、忍耐すること、自己陶冶などを人々に説いている。

  二つ目は「一人の宗教者として」の立場である。この立場からは世界のあるゆる宗教に対して、人々の幸せに寄与するように、また、他宗教の信徒を尊重し、まちがっても自宗教を真とし、他者を排斥するような行動をとらないようにと説いている。

 三つ目は「一チベット難民として」、すなわち、チベット難民のスポークスマンとしての立場である。この立場からダライ・ラマはチベット人が現在置かれている苦境、チベット文化の普遍的な価値などを国際社会に訴え、チベットに自由を取り戻すための非暴力の戦いを行っている。  日本のニュース番組などでは、この三番目の立場に立つダライ・ラマがよく取り上げられるため、日本人の多くはダライラマを政治的な存在ととらえがちである。しかし、ダライ・ラマ14世が「難民のスポークスマンとしての立場はチベットが自由になった瞬間に終わるが、一番目と二番目のアプローチは死ぬまで行う」と言っているように、一番と二番、とくに一番のアプローチこそがダライ・ラマの本質であり、三番目はもっとも特殊な立場といえる。

 これら三つの立場に共通していることは、「人々がそれぞれのエゴを鎮めて自己を陶冶し、他者に対する寛容の精神をもち、他者を慈しむことによって、目先の快楽ではない永続する幸せを獲得できる」ということである。  もう少し詳しく説明すると、我々は災いをもたらす者を敵として憎み、好ましいと思う者には執着する。しかし、この世のあらゆる紛争は自分、自分の家族、自分の民族、自分の宗教、自分の国などといった自分の延長にあるものに対する執着と、自分と対立するものに対する憎悪から生まれている。従って、我々がエゴを鎮め、自分の延長にあるものに対してではなく、普遍・全体に対して責任をとるように行動すれば、この世から紛争は無くなっていく。これが言葉だけのものにならないように、ダライ・ラマはエゴを鎮めるための様々な手法、怒りの鎮め方、レッテルをはる意識の消し方、などを具体的に説く。これらのメソッドはむろん仏教の哲学や修業の伝統に基づいたものであるが、ダライ・ラマはこれを宗教・人種をとわず誰にでも実践できる形にして説いている。

3.ダライ・ラマの全人教育

ダライ・ラマの教えに則って教育された人間がどのような人格に仕上がるかは、チベット子供村(TCV)で育ったチベット難民の二世・三世を見てみるとよく分かる。

  チベット子供村は、難民の子供たちが近代教育を受け、かつ、チベット人としてのアイデンティティを形成する場として、ダライ・ラマが亡命直後に設立したものである。チベット子供村の副読本にはダライ・ラマの自伝なども用いられるため、チベットの子供たちは中国の非道も知ることになるが、同時に仏教徒として自分の心の中の怒りや執着を制御するようにも教えられるため、子供たちの性格は総じて、知的で穏やかで、ユーモアに富み、中国への露骨な憎悪を示すものは少ない。また、他国に移住していくチベット人たちは受け入れ国の迷惑にならないように、その国の発展に力を貸すように、と諭されるため、難民二世、三世たちが移住先で問題を起こす例はほとんどいない。

 ダライ・ラマの訓育法は一番目と二番目の立場を通じて、チベット人のみならず世界中の人々にも実践可能な形で届けられている。もっとも最近の例をあげると1999年にダライ・ラマ14世が著した『新世紀のための倫理』(原題: Ethics for the New Millennium日本版『ダライ・ラマ幸福論』角川春樹事務所)は、ダライ・ラマ・ファンデーションの活動を通じて多くのコミニュティで教育書として用いられている。

 ダライ・ラマの普遍的な全人教育とは対照的に、チベットを制圧する中国は愛国教育を相変わらず続けている。中国の歴史教科書には、日本をはじめとする帝国主義列強が過去にいかにひどい仕打ちをしたか、それに対して中国人民、とくに解放軍がいかに勇敢に戦ったかを詳細に記し、読む者に帝国主義列強=悪、自国=善という図式を植え付けていく。このような教育は、被害者集団の結束をはかることには有効であろうが、大人の人格を陶冶すること、国際社会で他国と協調していく力を育む助けにならないことは言うまでもない。敵を憎むことによって特定の集団の結束をはかることは、何かの契機にその特定の集団が仮想敵に対して戦争をおこす火種をつくることである。戦争の火種を作るような教育はまともとは言えまい。

 昨年長野で行われた北京オリンピックの聖火リレーの際に、集まってきた中国人たちは難民社会で生まれたチベット人に「ニセモノ、ニセモノ!」と罵声をあびせ、「本土のチベット人(彼らが言うところのホンモノのチベット人)は中国の支配下で幸せに暮らしている!」と叫び続けた。彼らはもちろん政府のプロパガンダを叫んでいるだけで、本土のチベット人が幸せに暮らしていることを確認したわけでもないし、知る気もない。ただ一連の聖火リレーをめぐる出来事で「自分たちのプライドが傷つけられた」憤懣を難民たちにぶつけていただけである。

  一方、少数ながら参加したチベット人たちは、中国人・チベット人双方の犠牲者を悼む法要を厳かに行い、その後、中国人留学生の群に囲まれても淡々としたものだった。彼らは「中国人は子供みたいだ。お母さん(母国中国)のいうことをそのまま鵜呑みにして、それ以外の世界があることも知らない。泣くか怒るか極端な反応しかしない」と評していたという。 この難民青年のコメントに共感する人は国家・人種・宗教をこえて多数存在すると思うが、長野の中国人の叫びに共感する人を中国人以外に見いだすことは難しいだろう。

  中国の歴史教育を全人教育へと変えていくこと、これが東アジアの安定にとっての最優先課題であると思う。

4.世界平和も心の陶冶から

「いかにすれば世界を平和にできるか」という問題についても、ダライ・ラマ14世は「一人一人が心の内にある怒りを陶冶していくしかない」と教育の重要性を説く。そして、あらゆる機会をとらえて「自国の軍備にかけるお金を、貧しい国の教育を支援することに使えば世界の平和は創出される」と訴える。ダライ・ラマ14世が世界の平和について語る典型的なコメントを以下に引用してみよう。

「どうしたら世界の平和が達成できるのでしょうか。それは世界に住んでいる60数億のすべての人の行いにかかっているのではないでしょうか。個人個人の行い、そして国々の指導的立場にいる人たちの行いにかかっています。世界の平和を達成するための責任は私たち一人一人の肩にかかっています。  そのためには、一人一人が自分の心の中に内なる平和を達成していくことから始めなければなりません。まず自分自身が内なる平和を達成し、その人が属する社会における平和を達成し、さらにその枠を広げていって世界平和が達成できるのです。  ここでいう世界平和とは、この世の一切の争いが無くなるということではありません。この世において争いごとは常に存在します。でもそれを穏やかな方法で解決していこうとすることが平和の真の意味だと思います。私はその方法として対話が大切だと考えています。強い意思の力をもって、対話を推し進めていくことによって、この世の中のさまざまな争いや問題が解決できるのだということを特に教育を通じて若い世代の人たちに教えていくべきではないでしょうか。  今の世界には原子爆弾とか化学兵器が開発されて存在していますが、それらが人間のみならず生きとし生けるものにどんなに残虐な被害をもたらすかということをよく考えてみなければなりません。人類を滅ぼしかねないこうした最終兵器の武装解除に向かう第一歩として、私たち一人一人が自分の心の中の内なる武装解除に取り組まなくてはなりません。(2006年東京公演 『ダライ・ラマヒューマン・バリュー』より)

 ダライ・ラマの説くこのような紛争の解決法を、非現実的とみなす人がいるかもしれない。しかし、この手法はじつは過去千年間チベットが採用して成功してきたものなのである。チベットは13世紀にモンゴル人に攻め込まれたが、彼らを仏教徒にすることによって、かえってチベットの文化を発展させた。17世紀には満洲人王朝清の皇室にチベット仏教を布教し、清皇帝の帰依によってチベット仏教は極大期を迎えた。つまりチベット人は周辺の民族に仏教を広め、「教育」することによって、チベットの平和を守り、彼らの経済的な布施によって国を繁栄させてきたのである。今、ダライ・ラマ14世が世界の人々に仏教思想の素晴らしさを説き、チベット文化の護持を訴えているのは、この伝統の上に位置づけることができる。

5.ダライ・ラマに共鳴する国際社会

1989年チェコスロバキアでビロード革命がおき、ベルリンで壁が崩れ、無血で独裁体制が転換した際に、ダライ・ラマは即座にその地を訪れ、新しい社会のリーダーたちと交友を結んできた。また、同じくノーベル平和賞の受賞者であるアイルランドのベティ・ウィリアムス、コスタリカのオスカル・アリアス、グアテマラのリゴベルタ・メンチュ、東チモールのホルタ神父らとともに、ビルマの軍事政権に対する投資撤退を求め、また、南アのツツ大主教らとともに数々の平和会議を主催し、911などの悲劇が起きた際には武力報復を戒める公開書簡をブッシュ大統領に出した。つまり、ダライ・ラマ14世は世界の紛争のあらゆるシーンにおいて、独裁政権に対する非協力、被害者に対する怒りのケアなどを行ってきたのである。

 このダライ・ラマの平和に対する貢献は高く評価されており、世界中の著名な平和賞・人権賞は受賞しつくしており、セントアンドリュース大学を始めとする名門大学からの名誉博士号も数知れず、パリやローマなどの歴史ある都市からの名誉市民権も数多く保有している。近年も、2007年に人権の改善につくした労によりアメリカの下院からゴールド・メダルが贈呈された。

 メダルには 「世界の平和は一人一人が心の平和を陶冶するところから始まらねばならない。平和は暴力が無くなるだけでは実現できない。平和は人が他者を慈しむことから顕現する。」と記され、裏面には、チョモランマを背にしたダライ・ラマの姿と「チベットのダライ・ラマ14世」という銘文が打たれている。アメリカがいかにダライ・ラマの思考に共鳴し、チベットに自由がもたらされることを切望しているかをよく示していよう。

  ゴールドメダルの授与を決議した下院の議長は民主党のナンシー・ペロシ氏である。氏は1993年から何度もダライ・ラマと会見を重ねており、ダライ・ラマのよき理解者として知られ、昨年の九月二日、アメリカ最高位の政治家として初めて広島の原爆記念碑に献花し、「原爆投下は戦争終結を早めたため、正しい行動である」としてきたアメリカのこれまでの主張に一石を投じた。 今年一月にバラク・オバマ氏がアメリカ大統領に就任すると変化はさらにはっきりとしてきた。オバマ氏は四月四日のプラハ演説で以下のように述べている。

あるものはこう言う。「兵器の拡散は止められないし、チェックもできない。われわれは究極の破壊兵器を所有するより多くの国家や民族と一つの世界に住むことを運命づけられている」と。このような運命論はまったくの逆説だ。なぜなら、われわれが核兵器の拡散を必然であると信じたなら、その時、われわれは核兵器の使用も必然だということをある意味認めているからだ。・・・二十世紀に、自由のために立ち上がったように、二十一世紀は人々が核による滅亡の恐怖から逃れる権利のために立ち上がらねばならない。  核兵器を保有する国家として、また核兵器を使用した唯一の国家として、アメリカは〔核兵器廃絶にむけて〕行動する道義的責任がある。アメリカだけではこの試みを成し遂げることはできないが、リードすることはできる。始めることはできる。

このプラハ演説といい、オバマ氏が選挙戦に用いた「我々は変われる」(Yes, we can)という合い言葉といい、対立する政治勢力と対話を通じて問題を解決しようとする外交姿勢といい、オバマ氏の行動すべてが、先ほどのダライ・ラマの「平和は我々一人一人の行動と心の持ち方と対話による」という主張とリンクしていることが見て取れよう。余談であるが、オバマ氏が就任演説を行った日、そのポケットにはダライ・ラマから献呈されたカター(チベットで会見の際に交換される白いスカーフ)が入っていた、という噂がかけめぐった。この噂の真偽は当事者たちが否定も肯定もしていないことから定かではないが、多くの者がオバマ氏とダライ・ラマがきわめて近しい関係にあるとみなしていることの証明にはなるだろう。 ダライ・ラマ14世やオバマ大統領の説く対話路線に対して、「言葉だけで平和は実現しない」「彼らは失敗する」と言う者がいるが、このような批判はきわめて非論理的である。なぜなら、ダライ・ラマやオバマ氏は未来のあるべき姿を提示しているのであり、それが失敗するのも、成功するのも、我々次第と説いているからである。まだ決まってもいない未来について「失敗する」と断言することは、まさにその言葉によって未来を失敗に追い込んでいくことであり、批判者たちはそのような無益な批判に時間を使うよりも、失敗しない未来にむけて努力をすることが求められよう。

6.日本はチベットにどう関わるか

  最後に、日本がどのようにチベット問題にかかわっていくかについて、一チベット人の言葉を参考にしながら考えてみたい。 2009年5月8日、来日中のSFT(Student for Free Tibet)の副代表テンジン・ドルジェ氏を招聘講師にお招きした。SFT は1996年にニューヨークに設立された学生組織であり、1996年から2003年にかけて行われたフリーダム・チベタン・コンサートの開催や、チベット人政治囚の解放運動などで実績をあげている。テンジン・ドルジェ氏自身も2007年にチョモランマのベースキャンプで聖火リレーのチョモランマ通過に対する抗議活動を行ったことで知られている。

テンジン・ドルジェ氏は、チベットに自由を実現するためには、国際社会の協力が重要であるとしてこう述べる。 「日本やアメリカは中国に対してチベット問題について強く発言してこなかった。それはたとえばアメリカはネイティブ・アメリカンの土地をイギリスからの植民者が奪って建国した国であるため、中国が「もしチベット問題を云々いうなら、白人もアメリカから出て行け」と反論すると、アメリカは何も言えなくなる。 また、日本もかつて中国を植民地にした経緯があるため、今現在チベットを植民化している中国政府を批判しづらい。

「しかし、」と、テンジン・ドルジェ氏はいう。

 「過去に私は間違いを犯しました。だから、あなたも同じ過ちを犯してはならない、こういうふうにいえば相手の心に響くのではないでしょうか」  つまり、日本もアメリカも過去に自らの犯した過ちを悪いことと認め、現在、その同じ行為を行っている中国政府を諭すように、と進言しているである。至言である。 そして「なぜ日本はチベットのために発言しなければならないのか」という点については、テンジン・ドルジェ氏はこう述べている。  「わたしたちは事実に基づいて、非暴力によって文化と宗教を護る戦いをしてきました。もし私たちの戦いが勝利して、非暴力によってチベットに自由が実現するならば、人類の歴史は変わります。力のあるものがムリを通すような時代が終わり、人類の文明は一歩前進するのです」 この言葉が示しているように、ダライ・ラマに共鳴する人々が発した言葉は、論理的で矛盾がなく、人間の歴史を持続可能な方向にむける前向きな力を持ち、二項対立を超えた中道を示している。この道に従うことは、人類の未来を希望のあるものに変えていくことを意味し、この道から外れることは、長い目で見れば人類が滅びの道につくことを意味する。

チベット問題を無視することは誰にもできないのである。


[メインページに戻る]