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ゴルフ聖地チベット学会

History of Tibet Conference (HOTC) in St. Andrews


 勤勉なわたくしは、2001年9月1-5日、スコットランドのセント・アンドリュースで開かれた国際チベット史学会に参加した。以下の記録は専門家にとっては学会報告、一般の方にとっては学者の生態記録となる。
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聖地は聖地でも
こんどは
ゴルフ
聖地


命を縮めるBAのエコノミー席

 今年の四月、セント・アンドリュース大学なるところから学会の案内状がまいこんだ。チベット探検で有名なヒューリチャードソンの生誕百年を記念した学会で「発表しなくてもいいからオブザーバーとして来てね」という。聞いたこともない地名に長い時差。最初はいまいち食指が動かなかったが、この四月に出した本の宣伝もあるので、とりあえず出席の通知をメールする。出発日直前に主宰者の指定する旅行社の変更通知があったりして、手際の悪さが次々と露呈。いや〜んな予感がしたが、とりあえず八月三十一日に成田からブリティッシュ・エアウエイズ(BA)で出発。BAと言えば聞こえはいいが、わたしはいろいろな悪評を聞いていた(チェックインの際に自国民を優先してアジアからの乗客をひどい席にあてるとか。とにかく差別的であるとか)。その噂の真偽はさておき、とにかくまずこれはいいたい。座席が狭い。日本人女性として平均的な体格のわたしが膝がつかえるんだぞ!幅にしたって上着の脱ぎ着だってできやしない。拷問だよ。しかも、前は赤ん坊づれの巨大な英国人でそのでぶさに座席が壊れてさらにわたしの方に倒れてくる。テレビ画面を目の前三十センチでみるので頭痛がした。とにかく、うるさい、狭い、機内食がまずい。ろくなもんじゃないね。

 やっと、ロンドンで国内便に乗り継いで、エジンバラ空港につくと、迎えに来ているはずの旅行社がきていない。出発前に感じた手際の悪さからいや〜んな予感はしていたが、やっぱりね。とりあえずインフォメーションに行くとそこのおねえちゃんは「確かにこの学会のメンバーは昼間ここに集合していたが、今はいない。わたしは力になれない」とつれない答え。わたしは食い下がり「迎えにくるといったんだ。とにかくアナウンスをしてくれ」と頼むとやっとしてくれて、それに答えて旅行社が来たまではいいが、なんと十時半にルフトハンザでつくDr.ディーターシューを拾ってから会場に向かうという。そりゃ、わたし一人を迎えに来いとはいわないが、一番遠い日本からきているんだぞ。すでに成田から数えても15時間機上にいた人間に対してさらに二時間以上待てはないだろう?と思ったが、旅行社のスタッフが「私たちだって疲れているんだ。昨日ロンドンからエジンバラまでバスを運転して、三時間しか寝てなくて今朝は朝から一日空港にいるんだから」と言われて何も言い返せない(いや、言い返せる。空港でまつことは彼らの仕事だ。少なくとも私の仕事ではない)。いいかげん目眩がしはじめた頃、やっとルフトハンザの到着案内が。しかしいくら待ってもあのボンのお偉いさんは現れない。じゃあわたしが激疲れの中今まで待っていた意味は何?何なの?誰か教えて? 旅行社も「予定通りこなかったのは彼だけだ!」と激昂*(あとで彼がブッキングを忘れて乗れなかったことが判明)

 宿のNew Hall についたのは午前一時すぎであった。

なんでこんなに寒いのかスコットランド

 セント・アンドリュース大学は、15世紀初頭に創立されたスコットランドで最も歴史のある大学で(そういえばダイアナとチャールズの長男は新学期からここに入学する)、1985年には前述のヒュー=リチャードソンに、1994年にダライラマ14世に名誉学位を奉呈している。この大学にはダライラマ猊下をお迎えした事を機に、チベット人の留学生の受け入れを始めて、現在いる二名のチベット学生は今回の学会においていろいろな雑用にあたっていた。

photo2 一日の朝、神経質な私は眠れず絶不調のすべりだし。発表会場は宿舎から歩いて四分くらいの階段教室の講堂である。プログラムはリンクしとくのでまじめな視聴者はこっちへどうぞ。時代ごとにセッションがわかれていて、四人ずつくらい発表がおわると、発表者全員が前にでてきてオープン=ディスカションをする。この発表内容はいずれ本になって出版されるという。三度の食事は宿のレストランでバイキング形式でとり、まあまあの味であったが、最後は飽きてみんなで市内のレストランに繰り出した。大学の新しい部分は町はずれにあるが、古い学部は市中に校舎を持っている。セント・アンドリュースはとても小さな港街で、街のはじっこに立つと、もう町はずれにある大聖堂の廃墟が見える。ウィリアム王子はこんなチマコイ街で青春をおくるのかと考えると哀れになった。

 九月も一日だというのにとにかく身を切る寒さ。ウールのジャケットもっていけば大丈夫かと思ったら、コートとセーターが必要なことが判明。初日の夜は市内にある大学の教会でパイプオルガンとサクソフォンのミニコンサーがあった。わたしは道に迷って三十分遅刻したが、スコットランドの作曲家の曲だったらしい。夜はスコティシッシュディナーだったが、寒さと疲労からくる体調不良で食欲無し。その晩も眠れないが、二日は発表なので睡眠薬の服用は避ける。

 二日朝、昨日から薄着で移動していたので風邪をひいたようだ。とにかく一刻も早く何か暖かいものを買わねば。しかし、店は昼近くにならないと開かないので、普通発表直前の昼休みとかは原稿の最終チェックとかをするものであるが、わたしは体調を優先して、昼休みは徒歩十五分の市内へアノラックとセーターの買い出しにでかける。発表を終えた頃、喉の痛みと足のふるえと悪寒が最高潮になったので、人数が多いセッションであったこともあり、オープンディスカッションを失礼させていただく。参加者の一人からいただいた風邪薬を服用して気が付くと十二時間寝ていた。ありがたかったのは例の旅行社のスタッフが市内で買ってきてくれたイギリス式ゆたんぽである。セーターを着込んで湯たんぽをだいて風邪薬呑んで十二時間寝ると、汗をかいて翌日(三日)はずいぶん状況がよくなった。しかし、主要な目的である発表をこんな形で終えたのは失敗でしたね。ははははは。言ってもしょうがないけど。目的があると体を壊してもやり遂げようとする人の話を聞くけれど、私は目的よりも大義よりも、自分の快不快を優先する。このような結果になっても悔いはない(威張って言うことか)

 それに、わたしの体調も悪いが主宰者の気配りも悪い。学会では英語が共通語である。しかし、イギリス・アメリカ以外から来る人にとって英語は母国語ではない。したがって、早口の口頭発表ではとくに専門がはずれるとまったく理解できない。発表者はすべて事前に主宰者にフルペーパーを提出しているのだから、全員にこれを配布してくれれば、より相互理解が深まるのに。フルペーパーは同じセッションのごく数名には配られていたが、専門が同じ人間は逆に配らなくていいんだよ。内容が分かるのだから。むしろ専門外の人間が困るのだ。

 それに、全員にフルペーパーがわたっていると思い、注13とか表を参照せよ、とか間抜けなことを連発した私の立場を考えろ。あと、アメリカ人! 身振り手振りとジョークを交えたざっくばらんなプレゼンを学会発表のスタイルにするな! 研究の命は論点に対する根拠の明示である。そのためには論点と根拠となる史料を提示したレジュメがあれば十分。へたな概説もおなじみのアメリカン=ジョークもいらん。というか、されてもわからん。まあ東洋史が植民地時代の博物学の延長だから、あのようなウエスタン=スタイルな語りが許されているんだろうな。遅れているんだよ!

 日本の学会だったらあれは「講演」ですね。「研究発表」じゃなくて。

ゴルフの聖地を汚すイシハマのゴルフデビュー

photo3 三日の午後は自由時間であり、あるものは市内へ、あるものはエジンバラへ、あるものはゴルフにくりだしていった。私は昨日寝込んでいて市内観光をしていなかったので、遅きに失した市内観光を行い、午後は、ゴルフに行くことにした。実は、ゴルフ好きなら誰でも知っているらしいが、セント・アンドリュースはゴルフ発祥の地として世界中のゴルファーから憧れの的になっているらしい。そこでわたくしはゴルフやったことないにもかかわらず、野次馬根性でゴルフ場にくりだしたというわけ。女王メアリー=スチュアートもころがしたというオールド=コースはなんか馬場かゲートボール場のよう。パッティング場(知ったようなことを書いているが実はパッティングが何かもしらない)はでこぼこしているのでヒマラヤコースとかいわれていた。わたしたちのチームは全員ど素人。コーチはセント・アンドリュース大学に留学している二名のチベット人学生である。当然、全然すすまない。後から地元の母親に連れられた小学生低学年の二人に追い上げられ抜かれた時は悲しかった。コーチ様はわれわれの下手さ加減に業を煮やして足でボールをとめたり投げ返したりして、インチキの連続。学者は洋の東西を問わずあまりゴルフはしないんです。だから、学会の主宰者によって、この日設定されていたヒマラヤ=プライズも、最低の成績を収めたものに対して与えられるものであった。つまり、皆でビリを競っていたわけ。

 このようにして、わたくしのゴルフデビューは、ゴルフの聖地セント・アンドリュースにおいて、しかしチベット人のコーチにインチキをしてもらいながら、ブービーを競い合うという、ゴルフ好きが聞いたら冒涜としか思えない形で終了したのであった。ちなみに、この日の最高の成績を獲得したのは、このチベット人学生のうちの一人で、主宰者は「この学生がセント・アンドリュース大学で何に時間を使っているかよく分かりました」とコメントしたとさ。

photo4 その夜はスコッチ=ウイスキーの夕べとスコティッシュ=ダンスの夕べ。わたくしはウイスキーは頂かないので失礼させていただき、ダンスの鑑賞だけしようとしたら、全員参加の形式で、あのソシャルダンスのようなダンスを例によってスコットランド人のコーチのもとに踊らされることが判明。女性の数は少ないのでさらしものにされることは必定。ゴキブリのように会場から逃げ出した。学会をおつきあいの場と考える人の中には、私のとった行動を非難するむきはあるだろう。しかし、ゴルフで醜態さらしたあとでダンスで醜態さらす程、わたしは人生投げてはいない!

 その夜はスコッチを飲んだくれた人々が夜遅くまでロビーで語り合っていた。わたしも遅くまでつきあったが、疲れていたのか、パスポートと財布いりのバッグをのんだくれの群れの中に忘れて寝た。翌日それに気が付いた時は、「ああ、パスポート再発行までロンドンに足止めかい」と、くらーい気持ちになったが、忘れ物としてレセプションに届いていた。ありがとう届けてくれた誰かさん!

麗しきかな、スコットランド

photo5 こうして最果てのチベット学会は着実に日程をこなし最後の四日に問題の多い現代史のセッションを終え、お開きとなった。さいごに私に限っての雑感を述べさせてもらえば、伝統的なイギリスのエッセンス部分を構成すると言われるスコットランドの、しかも歴史の古いセント=アンドリュースの街は、何事も面倒の嫌いなわたくしにはこゆすぎた。イングリッシュ=ガーデンも、伝統的なイギリス家屋も、まるでイギリス村というテーマパークにいるようで、いるだけでとにかく疲れる。また、知らない人の間にもかわされる英国式の笑顔と挨拶の交換も、パークの雰囲気を損なわないように演技を強制されるビジターのようでさらに疲れる。左利きの人が右利きに有利につくられたこの社会では知らず知らずのうちにストレスで命を縮めるとかいうが、わたしもこのような社会に一年もいたりしたら、ストレスでものすごく命が縮まるような気がした(その上私は左利き)

 ただ、一つ心の底から感動したのは、生き物が幸せそうであったこと。日本ならそこかしこに人があふれていて、生き物は人の顔色をうかがいながらびくびくして暮らしいる。しかし、セント・アンドリュースの生き物は、もちろん多少は人を避けるが、もっとのびのびしていた。人が少ないからだろう。そこいらに野良リス、野良うさぎがいて、野良チョウチョがまっている。海辺には、四種類くらいの水鳥が群れをなしていた。中でも、いちばん嬉しかったのは、野良あざらしとふれあえたこと。海辺を散歩していたら波間に黒いものが見える。はじめは黒い海鳥かと思ったが、なんかへん。よくみる息継ぎに海面にでてきているアザラシだ。「元気い〜?」(もちろん日本語)と声をかけるとトプンと波間にもぐっていった。しかも、わたしたちが浜を歩く速度にあわせて海中を泳いでいるらしく、三分おきくらいに息継ぎに海面にあがってきても、つねに歩いているわたしたちの横の海上に現れるのだ。「いないいないバア」をしているような感じである。うちのごろうもそうだが、知能の高い生き物は「いないいないバア」がたいへんに好きである。よく考えてみたらこの遊びは存在と非存在を対立させた深い意味がある。

 「いないんだけどそこにいる」「それをわくわくしながら待つ」という遊びを野生アザラシとできるスコットランドはやはり素晴らしい。

 海辺でごみをすてたり、石を投げたりする人もいないから、アザラシも水鳥も人をおそれない。そういう意味ではスコットランドの人も素晴らしい。わたくしはそう思いつつ、五日スコットランドを、そしてイギリスを後にしたのであったった。

 今回の終わり方はわれながらきれいだ。

 


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