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セキセイインコと3才のダライラマ



 昨年2015年ダライラマ法王は80才を迎えられた。法王様は1940年に3才でダライラマ位についたので、以来77年間人々に慈悲をとき続けてきたことになる。

 それを記念してというわけではないが、自分の研究室で行っている小さな読書会で、ダライラマ14世の即位式に出席した英国人ベイジル・グールド卿の報告書を講読した。原文はもちろん英語であるが、チベット語にも翻訳されており、チベット語訳を原文とつきあわせると、原文にあってチベット文において省略されている部分から、チベット人が「外国人のみたチベット」をどこまで受け入れることができたかのラインが分かり面白い。早稲田大学東洋史懇話会36号と37号に掲載されているので興味のある方はご覧戴きたい。

 話をダライラマの即位式に戻そう。即位式は1940年2月22日から23日にかけて行われ、とくに二日目はチベット暦の正月の満月、すなわち新年の儀式のハイライトの日であった。従って、グールド卿の報告は即位式と新年の儀式の両方を目撃した興奮に満ちあふれている。

 英国政府は即位したてのダライラマに、お祝い金に加え、3才の子供が喜びそうな贈り物も献呈している。報告書によると英国政府と〔インド〕総督からの贈り物は以下のようなものであった。

 カルカッタ造幣局(銀行)で鋳造された金の延べ棒一本。経験に照らして喜ばれそうなものとしては銀貨(イギリスの硬貨) 10袋、ライフル(銃)3丁、カラフルな色の幅広の布(毛織物) 6反、〔金〕鎖つき金時計、双眼鏡、英国式の鞍、ピクニックケースがそれぞれ一つずつ、ストーブ3台、オルゴールと庭用ハンモック(庭園用の椅子のセット)各一つであった。

 実は、英国政府の贈り物にはこれ以外にもセキセイインコの二つがいも含まれていた。しかし、インドからチベットへの長旅でインコたちが弱っていたため、献上はずっと後のことになった。イギリスにとって、ある国の元首が何を好み、何を贈れば喜ぶかを知ることは非常に重要なことであったため、いろいろ手をつくして情報収集した結果、「ダライラマは小鳥がお好きらしい」という情報をしいれた。そこで、セキセイインコは冬のヒマラヤを越えさせられる羽目になったのである。

 このセキセイインコと幼き日のダライラマ法王の心温まるエピソードを以下にグールドの言葉をかりてご覧いただきたい。

 インドからの長い冬の旅を生き延びたセキセイインコたちは休息と温もりを必要としていた。そのためセキセイインコの飼育に詳しい〔政府の〕無線技士にして各国のアマチュア無線界でAC4YNで知られている人物〔Mr.〕フォックスがしばらくの間注意深く世話をすれば、セキセイインコは生き延びて繁殖すると思われた。従って2月23日の朝、実際にセキセイインコたちは〔ダライラマへの〕贈り物とはならなかった。

 二日後(まもなく)、ポタラから使者がきて「すぐに小鳥をつれてきてください」との要求があった。それからさらに二人の使者がきた。前の使者より年配であった。それからさらに二人の使者がきた。もしダライラマに意志の葛藤があったとするなら、意志が強いことを証明したことがまもなく明かとなった。ダライラマの命令を遵守することが唯一のありうべき道ということになり、ライ・バハードゥル・ノルブの主席事務官のペンパ・ツェリン(spen pa tshe ring) が鳥を携えてポタラに派遣された。彼は他の使者がまだ道中にある内に派遣され、ポタラにつくやいなや、仏教界で高位のものが〔鳥を受け取るために外で〕待機していた。ペンパはかなり圧倒されながら、〔すぐに〕鳥を手渡すと、自分を卑しいもののようにみせようとした。しかしその者は、はっきりとした流暢なチベット語で、鳥の食事や、鳥の安全な養い方を話し合いたいダライラマから派遣されていたのであった。

 ペンパはやがて〔英国政府から〕ノルブリンカやポタラでダライラマに贈られたナイチンゲール・ウォッチ、オルゴールがすべてダライラマの机の上に並んでいることに気づいた。ダライラマは暇な時には、これらを絶対目の届くところにおいて遊んでいるとのことであった。

 2〜3日後、「当面はフォックスの手厚い世話の下におく方がセキセイインコにとって良いことだ」と説得され、ダライラマは慈悲によってセキセイインコをデキリンカ(ラサのイギリス領事館)に静養に送り返され、セキセイインコはデキリンカで訪問者の人気者となった。ダライラマの動物に対する真のやさしさを示す証拠である。

 最初にでてくるセキセイインコマスターのフォックス卿は1937年から中国軍が侵攻する1950年まで無線技士としてラサに滞在したイギリス人、Reginald Fox(1899-1953)である。

 ダライラマ法王はこのエピソードにあるように、小さい頃から小動物を愛されていることで有名であり、亡命する前も、1959年にインドに亡命した後も、猫や犬を室内でたくさん世話をしていた。しかし、愛する生き物たちが失なわれる悲しさから、特定の生き物に対して執着を募らせるのはよくないと判断し、ある時期から、生き物を世話することをやめてしまった。

 仏教では「無限の輪廻をへるうちにあらゆる生き物はかつては自分の母であったことがある、従って生き物の命は分け隔て無く大切にしなければいけない」と説く。自分にとって好ましいもののみを愛するのではなく、自分の敵であっても愛さねばならないという、究極のアガペーを説くのである。このアガペーに照らすと法王の決断は全く正しい。

 しかし、私も含め多くのインコ・猫・犬などの生き物に執着しまくっている人々にとっては、耳の痛い話である。

 今年もすべての命あるものが、平穏で幸せに生きられますように。


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