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☆ネパール聖地巡礼(その2)☆

聖地ルンピニー(付学会報告)


(2) ルンピニーへ (付学会報告)

三月三日 金

 学校を二日も休ませてしまって恐縮だが、ロプサンにおくってもらってバスの出発するシェルパホテルにいく。久しぶりにあうカイプは太った上にあごひげまではえており、最初誰だかわからなった (あとでこれを本人に言ったらいやな顔をした)。三十分遅れでバスにのりこみ出発。学会メンバーは私以外は西洋人で、かつてほぼ全員ドイツ留学歴のある人ばかり。かれらの共通語はドイツ語らしいが、わたしに気を遣って英語をしゃべってくれる。かれらはビューティフルというものの、あまり共感のもてない乾燥した山岳地帯をひたすらはしり、四時間後には亜熱帯のバナナ林へおりていった (ふと、アタマには戦場のメリークリスマスのテーマが。年だなあ。)。会議を主催する、LIRI (Lumbini International Research Institute) の所長クリストフ・クッパーはドイツ人らしく気配りの人で、誰もが楽しめる話題をえらび、小話をしなど交えながらなごやかな雰囲気を演出する。途中、道路の穴とかがある場所でも、運転手にきちんと避けるよう指示しており、気配りぶりは相当なもの。あとできくとこれがドイツ人の性格なんだそうな。午後おそくにルンピニーに到着した (←写真はルンピニーの中心をなす。アショーカピラー。)

 ルンピニーはインドとの国境の町バイラヴァの郊外にあり、バイラヴァはすごいスラムな街だが、ルンピニーは外国人観光客がつどう安全かつ静かな地である。学会宿舎は法華ホテルで (ここが一番ゴーカ)、ベッドの上には浴衣と丹前、大浴場もあり、サロンには日本の推理小説が。わたしはルンピニーにきてまで『京都化野殺人事件』を読むことになろうとは思わなかった (読むなよ)。

 夜はTucciが1937年グゲいったときの記録映像。仏塔もお寺もしっかり建っていて、あの破壊がごく最近行われたものであることがわかる。映像はイタリア語でナレーションがはいっているので、ロベルトが通訳した。誰かが「ナレーションはTucci本人か?」と聞くと、「いやナチの宣伝マン」だそうな。

三月四日 土

 午前中はレジストレーションと開会宣言。今日の午後発表なので昼休みに急いで『会議英語』の該当個所をメモる。泥縄? 会議のあるLIRIはホテルからあるいて七分くらいのところで、散歩にはちょうどいい距離だが、午後になると熱帯で暑いのでちょっとつらい。丹下なにがしとかが設計したセンターは、一軒して蜂の巣のようなつくりで、煉瓦をはった外壁は昼間に熱を吸い込み夜は放射して、部屋の温度を48度にあげるのだそう。さすが、日本を代表する建築家のお仕事。よっ! お見事。発表の時間の合間にお茶の時間が設定されており、中庭でみんなでコーヒーを呑む。LIRIはいくら立派でもネパールの平原にたっているだけのこともあり、へび、かえる、コウズイ、熱暑の四本だてで研究員を苦しめるのだそう。

  日本にいるとチベット史をやっている人があまりに少ないので共通の話題もほとんどないが、ここでは『マニカンブム』がベストセラーでつぎが『カーダム法統史』というディープな世界。転輪王とか観音菩薩神話なんていう会話がフツーにかわせるからうれしい。


 学会プログラム

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Saturday 4/3

10:00 Registration at the Lumbini International Research Institute
10:30 Opening Session

14:00 - 14:45 Kuijp, van der Leo "Tibetan Concepts of State and Ethnicity During the Mongol Occupation"

14:45 - 15:30 Ehrhard, Franz-Karl "Spiritual Relationships between Rulers and Preceptors: Examples from the 15th Century"

15:30 - 16:00 Coffee/Tea break

↑写真はカピラバスツ付属ミュージアムにつどう、学会メンバー。

16:00 - 16:45 Ishihama, Yumiko "On the doro sajin thought shared between Tibet, Mongol and Manchu in the early 17th century"

16:45- 17:30 Stoddard, Heather "Lha Bla.ma Ye.shes.'od and Dzanlana Ye.shes rGyal.mtshan as early non-foreign, post-imperial, sbyin.bdag for the "Ten Men of dBus.gTsang"

Sunday 5/3

10:00 - 10:45 Schuh, Dieter "Srid ohne Chos? Reflektionen zu den Voraussetzungen einer festen Verbindung von Buddhismus und weltlicher Herrschaft."

10:45 - 11:30 Everding, Karl-Heinz "rNying ma pa Lamas at the Court of the Kings of Mang yul Gung thang. The Meeting of the gter ston bsTan gnyis gling pa with King Kun bzang nyi zla grags pa"

10:00 - 10:30 Ardussi, John "Formation of the state of Bhutan ( Brug gzhung) in the 17th century and its Tibetan
antecedents"

10:30 - 11:00 Sperling, Elliot "Karma Rol-pa'i rdo-rje and the Re-establishment of Karma-pa Political Influence in the 14th Century"

(↑カピラバスツで出城ポーズをとる恥知らず。さて誰でしょう?)

11:00 - 11:30 Vitali, Roberto "The role of clan power in the establishment of religion (from the kheng-log of the 9th-10th century to the instances of the dByil of La-stod and gNyos of Kha-rag)"

Monday 6/3

10:30 - 11:00 Shen, Weirong "The Chinese Image of Tibet and Tibetan Buddhism during the Yuan and Ming Times"

11:00 - 11:30 Walter, Michael "The Persistence of Ritual: Continuities in the Execution of Political Religion in
Tibet"
11:30 - 12:00 Closing Session

13:00 Visit to Kapilavastu, Gotihawa, Taulihawa (Basanta Bidari)


 三月五日 日

 朝カイプとホテルのまわりをバードウォッチングしながらまわっていると、日本山妙法寺の僧7人くらいが自寺のストゥーパのまわりをどんつくどんつくと団扇太鼓をたたきながらまわって朝の読経をしていた。まわりおわると何年か前この地で殺された僧の墓の前でひとしきりどんつく。この人が殺される前この寺は一人しか駐留してなかったらしいが、事件後は安全のためにここまで人数が増えたのだそう。午後、学会が終わってから、ルンビニーの拝観にゆく。
 ルンビニーはお釈迦様の生誕地として世界中の仏教徒の共通の宝であるとの認識のもと、日本が主導して聖園計画がたてられている。ここに、お寺をたてたい人は永代使用料をはらってその聖園計画プロジェクトから土地を借りるのだ。現在のところ日本山妙法寺をはじめとし、ビルマ寺、タイ寺、朝鮮寺、中国寺、スリランカ寺とさながらテーマパークの感を呈している。またまた、丹下なにがしかの設計により、真ん中には水路がほられ、原爆ドームの前にあるような火がともされている。正中線にそって歩くと、中央つきあたりにアショーカ・ピラーがあり、菩提樹、沐浴池、マーヤ妃を顕彰した祠などが点在する。ちょうど日没時でとても感動的な雰囲気が聖地にはただよう。

 ここが中心と思った岡の前で「天上天下唯我尊ポーズ」で記念撮影をし笑いものとなる。その上、後になってから、そのモニュメントはたかだか50年前につくられたランドマークと知れる。発掘地は柵で囲まれていて見ることはできないが、その地下30Mからアショーカ王がここが釈尊生誕の地と記憶するために設置した石が発掘されたそう。
 その夜は六時にホテルを出発してバイラヴァ (国境の街でど汚い) のカツリ (麝香) レストランでインド料理を食す。ちなみに、日本人観光客であふれた法華ホテルでは、西洋人ばかりの学会メンバーはめだつ。かれらと一緒に食事をしているわたくしが日本人にどう見えているかというと、ある人から「ツァーコンダクターさんですか?」と言われた。理由を聞くと「西洋人をひきつれているから」っておい! ほんとーに、このホテルでは日本を満喫しました (↑写真は日没のルンピニー)。


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