[チベットの古典に触れよう] Updated 1999/11/10

菩提への道の階梯の実践法を要約して

備忘録としたもの

(ラムリム・ドゥトゥン)

ツォンカパ・ロサンタクペーペル作

福田 洋一訳(第二版)

※訳者注記

以下に訳出したのは、ゲルク派の開祖ツォンカパが、自らの思想体系である「ラムリム」すなわち菩提への道の階梯を、要約して詩である。訳文のみで理解できるよう、(= )に容れた注記ゃ〔  〕に容れた補記をできるだけ付けた。また、チベット語特有の表現は必ずしも直訳せず、分かりやすさを優先して意訳した箇所も多い。原典は、『宗喀巴作品拾零』(青海民族出版社、1987)所収のテキスト。


目次

I. 序論
  A. 帰敬偈
  B. ラムリムの特徴
  C. 説法と聴聞

II. 本論

  A. 師事作法
  B. 有暇の獲得
  C. 下品の人の道(三帰依と戒律)
  D. 中品の人の道(出離)
  E. 上品の人の道
    1. 発菩提心
    2. 六波羅密
      a. 布施
      b. 戒律
      c. 忍耐
      d. 精進
      e. 禅定
      f. 知恵
    3. 止観
    4. 密教

III. 回向文

奥付け



I. 序論[↑]

A. 帰敬偈

【仏に対して】
 一千万の完全な善によってお生まれになった体、無量の衆生の願いを満たすお言葉、知るべき事を残りなくありのままにご覧になるお心、〔これらを備えた〕釈迦族の主、その方に頭面礼足(*)いたします。

* ずめんらいそく=仏・菩薩や尊者に対する最上級の礼法。ひざまずいて顔を地面に接し、相手の足を手のひらで受け、これに顔や頭を触れること

【菩薩に対して】
 その、並ぶもののない教師(=仏)の最上の息子、勝者(=仏)のなさったこと全てを肩に担って、無数の〔仏〕国土に化身して遊戯する、弥勒〔菩薩〕と文殊〔菩薩〕に帰命いたします。

【インドの論師・龍樹と無着に対して】
 測ることの極めて難しい勝者(=仏)の母〔たる般若経〕の真意をありのままに註釈なさった、閻浮提(=全世界)の飾り〔と称讃される、〕三界(*)すべてに名声が轟く、龍樹(=ナーガールジュナ)と無着(アサンガ)お二人のおみ足に私は帰命いたします。

* 欲界(我々の世界)、色界(高位の瞑想を治めた者が生まれる清浄なる物質でできた世界)・無色界(最上位の瞑想を治めた者が生まれる物質を超えた世界)

【アティシャに対しして】
 大乗〔の創始〕者お二人(=龍樹と無着)から正しく伝承されてきた深甚見と広大行という〔二つの〕伝統を、誤りなく完備した教えの精髄を集めた教説の蔵を護持しているディーパンカラ・シュリー・ジュニャーナ(=アティシャ)に敬礼いたします。

【師匠たちに対して】
 無辺の経典全てを見る目であり、仏縁に恵まれたものが解脱に向かうための最上の門であり、慈しみ〔の心〕によって突き動かされた巧みな方便を駆使なさることによって、〔仏の教えを〕明らかになさった善知識(=先生)たちに心から敬礼いたします。

B. ラムリムのすばらしさ

 閻浮提(=全世界)の全ての知者の頭頂の飾りであり、名声の旗が衆生の上ではためいている龍樹と無着のお二人から順々に正しく伝わってきた菩提(=覚り)への道の階梯(=ラムリム)は、衆生の望む目的すべてを満たすので、如意宝珠のような教えであり、また優れた典籍の川が千本集まって注ぐところでもあるので、栄えある善説の大海である

 〔ラムリムにおいては、仏教の〕全ての教えが矛盾することなく理解され、至上のお言葉(=経典)は余すところなく教えとなって現れ、勝者(=仏)の深意が容易に体得され、大きな悪行の崖からも護られる。

  それゆえ、インド・チベットの仏縁に恵まれた多くの知者たちの依拠する最上の教えである。思慮深いものの中で、この三種の人の道の階梯(=ラムリム)に心が奪われない者が誰かいるであろうか。

C. 説法と聴聞

 至上のお言葉(=経典)全ての心髄を集約した、この〔ラムリムの〕内容を、ほんのいっとき説いたり聞いたりしただけでも、正法を講説したり聴聞したりする巨大な利益と功徳を必ず積むことになるので、その意味を〔よく〕考えなさい。

II. 本論[↑]

A. 師に仕える作法

 次に、今生と来世で集められる限りの良いことを〔集められる〕縁起が正しく調うためには、〔菩提への〕道を教えてくれる最高の善知識(=師)に、努力して、見識と準備の修行をもって、正しく師事することが根本であると理解して、命のためであっても〔師を〕捨てるようなことはせず、そのお言葉の通りに修行することによって供養し〔師を〕喜ばせる必要がある。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

B. 時間的余裕の獲得

 〔今生において得られた〕この閑暇に恵まれた〔人身は、仏道修行のこの上もない〕拠り所であり、如意宝珠よりも価値あるものである。このような〔幸運に恵まれること〕は、〔滅多にない〕一度限りのものである。得ることは難しく、〔得られても〕失いやすい。それはちょうど虚空の稲妻のようなものである。

 このことによく思いを巡らして、日常の行為はみな、籾殻を篩うのと同様〔空しい行為〕だと理解して、昼夜を問わず常に、〔物事の〕心髄を得るように心がけなければならない。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

C. 下品の人の道(三宝への帰依と戒律を守ること)

 死んでから〔地獄、餓鬼、畜生という三つの〕悲惨な境涯に生まれることは決してない、という確信はなく、その恐怖から守ってくれるものは〔仏・法・僧の〕三宝以外にはあり得ない。それ故、〔それら三宝に対する〕帰依を堅固なものにすべきであり、また守るべき戒律を破らないようにしなければならない。

 それはまた、善悪の行為とその果報について正しく思いを巡らし、取るべきもの(=善行)を取り、捨てるべきもの(=悪行)を捨てる、理に適った実践に依拠している。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

  最上の道を修行するためには、〔修行できるための〕特徴を全て兼ね備えた拠り所(=身体)を得ないうちは〔修行を〕進める能力を身につけることはできない。それゆえ、〔その特徴が〕欠けることのないようにする根拠(=戒律)を成就すべきである。

 罪過と墜罪という垢で汚れた〔行為を行う〕三つの門(=身体・口・心)は、とりわけ、〔罪〕業という障害を取り除くことが重要であるので、絶えず四力(*)すべてに依拠することが大事である。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

* 過去の罪を悔いる行、犯した罪に対する対抗手段を講じる行、再び罪を犯さぬよう抑制する力、三宝への帰依と菩提心という拠り所の力

D. 中品の人の道(輪廻からの出離の心)

 もし苦諦すなわち〔輪廻における〕災厄に思いをめぐらすよう努めなければ、解脱を求める心が正しく生じるはずはなく、集諦すなわち輪廻の生じてくる過程に思いを巡らさないならば、輪廻の根本を断ち切る仕方を知ることはできない。それ故、〔苦諦によって、〕この生存(=輪廻)からの出離〔を願う心〕と〔この生存を〕嫌悪〔する心〕を興し、〔集諦によって、〕何故にこの輪廻に縛り付けられているかを知ること、これらが大事である。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

E. 上品の人の道[↑]

1. 発菩提心

 発菩提心(=一切衆生のために覚りを求める決意)は最上の乗(=大乗)の道の大黒柱であり、偉大なる行いの基盤であり拠り所であり、〔あらゆる行いを福徳と智慧の〕二資糧に全て〔変える〕錬金術のようなものであり、無限に多くの善を収めた福徳の蔵である。このように知って勇猛なる仏子(=菩薩)たちは、〔発菩提心が〕宝の如き最上の心であり、〔一切衆生を救うための〕誓願の根本であると理解する。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

2. 六波羅蜜

a. 布施

  布施は、衆生の願望をかなえる如意宝珠であり、吝嗇の紐帯(=繋縛(けばく)=煩悩)を断つ最上の武器であり、〔仏道修行に邁進することに〕怖じ気付かない勇気を生じさせる菩薩行であり、名声を十方に轟かせる基盤である。知者はこのように知って、〔自らの〕身体や財産や善〔の功徳〕をあまねく〔他者のために〕投げ出すという正しい道を実践する。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

b. 戒律

 戒律は悪行の垢を洗い流す水であり、煩悩の熱の苦しみを取り除く〔涼しい〕月の光である。〔戒律を堅固に守る人は、〕一切衆生の中にあって須弥山のように輝き、力で威圧することなしに全ての衆生が心服するようになる。優れた人たちは、そのように知って正しく護持されている律を瞳のようにお守りになっている。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

c. 忍耐

 忍耐は力あるものたちにとっての最上の飾りであり、煩悩に悩むものにとっての究極の苦行であり、怒りの蛇という敵に対して虚空を行くガルーダ鳥のよう〔に、毒に害されずに蛇を飲み込むもの〕であり、悪言という武器に対する堅い鎧である。そのように知って、忍耐という鎧について、様々な仕方で正しく習熟なさる。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

d. 精進

 不退転で堅固な精進(=努力)という甲冑を身に付けるならば、聖典を理解する功徳は上弦の月のように増えてゆき、あらゆる行いは実りあるものとなり、始めた行為の目的は思いのままに成就する。仏子〔たる菩薩〕たちは、そのように知ってすべての怠惰を斥け、偉大なる精進に邁進する。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

e. 禅定

 禅定は心を支配する王である。〔禅定に〕入るならば不動なること、山の王〔須弥山〕の如くである。〔そこから心を〕放つならば、善なる対象すべてに向かって働き、心身の軽やかさという大いなる安楽をもたらす。そのように知って、自在なる瑜伽行者たちは常に、心の散乱という敵を滅ぼす三昧を拠り所とする。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

f. 智慧

 智慧は深遠なる真実を見る目であり、生存の根本を根こそぎ引き抜く道であり、あらゆる経典で褒め称えられる功徳の蔵であり、無明の闇を取り除く最上の灯火と名高い。そのように知って、解脱を求める知者は、大きな努力をはらってその道(=智慧)を〔自らに〕生じるようになさる。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

3. 止観[↑]

 精神集中の禅定(=止)だけでは、輪廻の根本を断ち切る力は見られず、逆に精神集中の禅定(=止)の道を伴わない智慧だけでは、どれほど考察をしても煩悩を退けることはできない。それゆえ、真のあり方を正しく認識する智慧を、不動なる禅定という馬に載せて、〔実在論と虚無論という二つの〕極端な立場を離れた、中観の正しい論理という鋭い武器によって、〔二つの〕極端〔な立場〕に執着する〔無明の〕認識対象全てを消滅させる、正しく考察する広大なる智慧によって、真実を認識する知を増大させる。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

 精神集中に習熟することによって三昧が成就したひとは、言葉に表される全てのことを正しく考察する個別的観察によって、真実の有り様についての不動堅固なる三昧を生じさせる、と理解して、精神集中の禅定と智慧による個別的観察との二つを相伴って行じるように努力するひとたちは殊勝である。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

 三昧における虚空のような空性と、三昧から出たときの幻のような空という二つについて、繰り返し心に刻み付けて、方便と智慧を二つともに修行することによって菩薩行の彼岸(究極)に赴くものは賞賛に値する。そのように理解して、〔止と観の)どちらか一方の道で満足しないことが、仏縁に恵まれたものたちの流儀である。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

4. 密教

 以上のように、因と果の大乗の最上の二つの道(=顕教と密教)のいずれにも必要な共通の道(智慧)を正しく生じて、知者たる船頭という護法神に依拠し、密教経典の大海に入って完全なる秘密口伝に依拠するもの、かれは〔仏道修行を行うための〕時間的余裕に恵まれた境遇を得たことを実りあるものとするものである。ヨーガ行者である私もそのような実践をしてきた。解脱を求めるあなたもそのように行われんことを。

III. 回向文[↑]

 自らの心において習熟するために、また他の仏縁に恵まれたものにも利益をもたらすために、勝者(=仏陀)を喜ばす遍く完成された道を、理解しやすい言葉でここまで説明してきた。この善によって、一切衆生も清浄なる良い道から離れることがありませんように、と祈願を立てる。瑜伽行者である私もそのような祈願を立てた。解脱を求めるあなたもそのように〔祈願を〕立てられんことを。

奥付け

 以上の「菩提への道の階梯の実践法の設定を要約して備忘録としたもの」というこの〔偈〕は、多聞の比丘にして隠遁者であるロサンタクペーペル(=ツォンカパ)が、ドゥクリボチェ・ゲデン・ナンパルゲルウェーリン(=ガンデン寺)において著したものである。


[チベットの古典に触れよう]